1日15時間の勉強
帰京した斎藤氏はネット検索でフジゼミ(「訳あり」の塾生を支援する学習塾。前編参照)を知り、すぐ福山に飛んで藤岡塾長と面会した。
「僕は1年で慶應に入ります!」
高らかに宣言した斎藤氏に藤岡塾長が尋ねた。
「アルファベットは全部書けますか」
書ける、と答えたものの実際にペンを持つと、小文字の「q」が書けなかった。
2018年1月、福山市のウィークリーマンションを借り、東京と福山を行き来する生活が始まった。
新年度生を迎えるフジゼミのホームルームでは、藤岡塾長の指名で斎藤氏がスピーチした。元暴力団の経歴を包み隠さず語り、「自分はペーペーだから仲良くしてください」と自己紹介した。人懐っこい笑顔で年齢差のある塾生に溶け込んだ。
「数学は小学校の掛け算と足し算と引き算と分数から始めました。英語は中1の教科書でカッコ悪かったですね。お昼休みに他の生徒が下の階でご飯を食べる中、僕は昼食も摂らず机に向かっていました。毎日が嫌で、板書する藤岡先生が夢に出てきたほどです」
ただ、勉強に臨む態度は真面目そのものだった。教室の最前列に座って1度も授業を休まず、わからないことは恥ずかしがらず何でも講師に尋ねた。
中卒の斎藤氏がまず取り組んだのは高卒認定試験の8科目。1日12時間の猛勉強の末、8か月で認定試験をクリアした。
藤岡塾長は、「本当に勉強をしたことがない人だったけど、ゼロから高卒認定を勝ち取った。空白期間を努力でカバーしたのは凄いことだと思いました」と振り返る。
まっさらな状態で飲み込みが早い斎藤氏は、その後も順調に学力を伸ばした。だが1年目の大学受験で合格できたのは、慶應より偏差値がかなり低い大学1校だった。
「本当はその大学に入学しようと思ったんです。でも周りのみんなから『斎藤さんはこれで終わりじゃないよね』と言われて慶應への再チャレンジを決意しました。一度きりの人生で悔いを残したくなかったんです」
受験2年目、東京と福山で立て続けに窃盗被害に遭った。親しい人間の関与を疑った斎藤氏は精神的に落ち込み、心機一転のため福山の住まいを引き払って帰京した。
「東京では懇意にしている社長が僕のために『慶應受験特別プログラム』を準備し、それぞれ専門分野を持つ講師陣を紹介してくれました。フジゼミで固めた基礎学力をもとに、今度こそと念じて1日15時間の猛勉強に励みました」
がむしゃらに英単語を覚え、小論文用の読書を重ねた。朝夕のテストで理解度とレベルをチェックし、足りない部分を頭に叩き込んだ。
講師の勧めで慶應大学のAO入試にも挑戦した。AO入試は受験生のそれまでの歩みを書類選考と面接で評価する方式で、筆記試験は課されない。
2019年秋のAO入試に挑んだ斎藤氏の小論文のテーマは「犯罪率の減少」。生い立ちから暴力団加入、服役歴まで詳らかにして、刑務所を出て再犯する人を減らすために社会がどうあるべきかを論じた。服役経験のある斎藤氏ならではの論文だった。
「どうせ落ちるだろうと思っていたら、一次試験は合格でした。二次の面接で落ちたけど、倍率10倍とされる超難関の一次試験を突破したことは自信になった。慶應が近づいた気がしました」