永さんの一周忌イベントで顔を合わせた黒柳とさだ(画像はさだのインスタより)
ちょうどその年に、黒柳はブレーンとしてある男性を迎え入れていた。「ビーズの貴公子」こと、田川啓二さん(63才)だ。
「オートクチュールを手がけるビーズデザイナーです。父も兄もデザイナーという芸術一家に生まれ育ち、2002年に『徹子の部屋』に出演しています。その共演をきっかけに、田川さんは黒柳さんの衣装を手がけるようになり、全国の老舗百貨店で一緒に作品展を開催するほどの深い関係になりました」(芸能関係者)
そして2016年4月、田川さんは突如、黒柳の事務所の代表取締役に就任。さだとの最後の共演の8か月前のことだ。以降、田川さんは黒柳の仕事現場への同行から出演交渉、キャスティングにもかかわるようになったという。
「田川さんが黒柳さんの事務所の代表になって以降、黒柳さんはインスタグラムを始めたり、若い読者層を持つファッション雑誌に出るようになりましたが、それも田川さんのアイディアだったようです。彼は番組収録にも付き添い、黒柳さんの専属プロデューサーとして抜群のセンスを発揮していったのです。
だからこそ、さださんの“発言”が引っかかったのかもしれません。さださんは最後の『まさしの部屋』で、先の質問以外に“黒柳徹子保存会”を立ち上げて、自分がその初代会長だと口にしたんです。田川さんも撮影現場で聞いていたはず。これが“共演NG”のきっかけだったのでは?と分析する人もいるようなんです」(前出・芸能関係者)
田川さんは2018年8月、黒柳の事務所の代表を信頼する友人に任せ、代わりに自身は「一般財団法人黒柳徹子記念財団」を設立し、その代表理事に就任した。黒柳は着物、食器、工芸品など多くの美術的価値のあるコレクションを持つ。それらを後世に残すために財団を設立し、「黒柳徹子美術館」を建設する意向を田川さんは当初から示していたという。
美術館の建設となれば、それなりの建設費が必要になる。黒柳は財団の設立前年、東京・港区に所有していたマンション2戸を売却。2004年にも中央区のマンション1戸を手放しており、3戸の売買価格は約6億円ともいわれている。
「おそらく田川さんが社長に就任した当初から、不動産の売却や財団の設立などの計画を描いていたのでしょう。さださんが話した“黒柳徹子保存会”は、その計画外のもので、田川さんにとっては寝耳に水だったはず。“保存会”は実態があるのか定かではなく、冗談半分のようにも思えますが、田川さんはじめ黒柳さんの周囲の人たちにとっては冗談には聞こえなかったのかもしれません」(前出・芸能関係者)