「氣」「己を信じて」「リラックス」「センター返し」
これは父が自ら書いてくれたものだという。そして、打席に向かう際にはまず、ベンチ裏でこの文字を読み返し、左肩にある校章をギュッと握りしめてから打席に入る。まるでPL学園の選手たちが首からぶら下げていたアミュレット(御守り)を握るような所作だ。握りしめる校章の裏には、父が愛用したヘルメットの(後頭部部分にある)背番号を切り取ったものが縫い付けられている。
「お父さんの言う『センター返し』を思い出して、絶対に打つという意識で打席に入っています」
父も成し遂げなかった「センバツ制覇」
幼い頃から、PL学園時代の父の勇姿は映像で幾度も目にしてきた。
「レフトに打った特大のホームランが印象的です」
勝児は「対戦相手は分からない」と話したが、おそらく1985年夏の甲子園準々決勝・高知商業の中山裕章から放った甲子園歴代最長(推定140メートル)とされる一発だろう。
「甲子園球場には、(慶応高校が出場した2018年の)春に一度、行ったことがあります。すごいとこだなと。自分もここでプレーしたいとその時初めて思いました」
関東大会でベスト4に入ったことで、勝児も来春、「聖地」に立つことが濃厚だ。
「まず、関東大会をあとふたつ勝って、(11月の)神宮大会出場を決めたい。秋の日本一。そこが自分たちの目の前にある目標なので」
慶応義塾幼稚舎、慶応義塾普通部から慶応義塾高校に昨春入学した勝児は、留年を経験し、2度目の1年生生活を送っている。日本高等学校野球連盟の規約により、甲子園に立てるチャンスも来春と来夏の2回だ。1985年夏の決勝・宇部商業戦で清原氏がバックスクリーン左に通算13本目の本塁打を放った時、朝日放送の植草貞夫アナによる「甲子園は清原のためにあるのか」の名実況が生まれた。
誰よりも甲子園に愛された男の血を継ぐ球児が、来春、甲子園のグラウンドに立つ。センバツ制覇は、5季連続で甲子園に出場した父がついぞ手にできなかった勲章だ。
「日本一を目標に掲げているので、優勝したい」
■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)