「昔は産廃にうるさくなかったんで、ケーキなんて店で大量に捨ててました。体も甘ったるくケーキ臭くなるし、しばらく見たくも食べたくもないくらいになりました。いまは廃棄物に厳しいですから業者任せですが、逆に業者に出せる分、原価率さえ合えば並べちゃえ、あとは知らんという会社も増えたように感じます。世間向けのポーズとしては環境に配慮している体ですけど、実際の本部は数字しか頭にないですからね」
売れ残りの田作りに睨まれている気分になる
日本のフードロスは消費者庁によれば522万トン(2020年)、これは国連による飢餓や貧困の国際食糧支援(およそ420万トン)の1.2倍となる。いわゆる国際的な「買い負け」や物価高騰に直面しているとされる日本だが、世界的にみればやはり豊かな「飽食の国」である。
「食品の値上げはもちろん、光熱費も高騰していますから小売はどこも年間ベースで見たらギリギリの経営です。他店との競争もありますからね。そうなると、どうしてもお正月のおせちとかクリスマスは稼ぎ時となる。そして大量のおせちやケーキを捨てることになる。仕方のない話ですが、どうにもならないというのが現実です。私だって人間ですからね、いまもそうですが、売れ残りの田作りに睨まれてる気分にはなりますよ」
言われてみれば、田作りとして売れ残ったワカサギの子どもたちが何十匹も私たちを見ているような気がしてくる。仕方のないこと、偽善とする向きもあるだろうが、この子どもたちは何のために生まれて来たのだろうと思うことは冷笑することでも、頭から否定することでもないように思う。命をいただく行為をないがしろにすることは、決して大げさでなく人間の命も含めた生命倫理の問題にもつながる。実際、2019年のG20サミット大阪でも「不平等への対処」として「栄養状況を改善」「食料の損失、廃棄の削減」が首脳宣言に盛り込まれている。実はフードロス、国際的には環境の問題だけでなく「飽食」という倫理的な問題もあるとされている。
日本の消費者庁も「食べもののムダをなくそうプロジェクト」として企業や消費者に働きかけているが、結局は自由主義経済下の企業経営と消費行動に制限を設けるわけにもいかず、あくまで食品ロス削減スローガンや川柳コンテストなどの啓発活動が中心である。廃棄品を活用したフードバンクなどの自治体や民間ボランティアによる活動もあるが、貧しい人に配ればいいという話でもないのがやっかいだ。
「消費(賞味)期限の問題がありますからね、期限切れでなくても寄付して食中毒とか起きたら大変ですから難しいんですよ。そういう団体もその点の注文というか、指示が細かくて店側(企業側)が敬遠する場合もあります。取り組んでいる他社さんもありますけど全部がそうではない。結局、廃棄したほうが何事もなく楽ですから、外国のようにはいかないでしょう」
お国柄というか文化の違いもあるが、フードバンクの盛んな国は「食べられればいい」というレベルで配っていたりするし、日本では信じられない話だが「ちょっと腹を壊すくらいいいよ」という層が存在し、そもそも衛生観念が低かったりもする。海外ドラマやドキュメンタリーなどで見るアメリカのフードバンクの様子は、日本人からすれば「雑」なシーンに驚くこともあるが、そもそもアメリカでは軽微な食中毒や誤飲事故くらいでは善意で寄付した企業側の責任が免除される法律(Bill Emerson Good Samaritan Act・1996年制定)があるため、企業は遠慮なく廃棄することなく寄付できる。受け取る側は「自分でよく考えて」食べろということで自由意志の国ならではだが、これで20年以上とくに社会問題になっていないというのだからお国柄としか言いようがない。その是非はともかく、金額や貴賤は問わず食品に絶対安心・安全を求める日本では多くの自治体やボランティアの努力ほどには成果が上がらない現実がある。まして今回の取材では「おせち」である。季節ものとなるとクリスマスケーキもそうだが毎年問題視されているにも関わらず、やはり半額セールの貼られたままに廃棄されるであろう、目の前のおせちの大量仕入れ、大量廃棄が繰り返されている。
「小売の現場からすればもう慣れっこですけど、次は恵方巻が待ち構えてますからね。あれもうちは基本、惣菜コーナーにちょっと置く分以外は予約にしてますけど、店頭売りするような大手スーパーやコンビニ、デパ地下なんかも多くは大量発注、大量廃棄ですよ」