谷沢が1986年限りで引退してから2011年までの間、中日の監督は星野仙一が5年、高木守道が4年弱、再び星野仙一が6年、山田久志が2年弱、落合博満が8年務めた。
「落合さん退任時、谷沢さんは64歳になっていた。それまでに実績があれば別ですが、64歳で初めての監督は球団としても頼みづらいでしょう。中日では星野さんが結果を残したこともあって、長年強い発言権を持っていたようです。中日と縁のなかった山田さんがコーチから監督に昇格した時も、星野さんの意向があったと言われています。
高木さんは生え抜きのスターで、球団として一度は監督をやらせたい人物だったでしょう。谷沢さんもその1人だったはずですが、一人ひとりの監督年数が長くなったことも、タイミングを失った理由だと思います。谷沢さんが引退した頃は、生え抜きのスターがコーチ経験なしで監督になることも珍しくなかった。しかし、2000年代以降は二軍監督やコーチ歴も重視されるようになってきた。その時代の流れも不利に働いた面もあるのでは」
YouTubeで谷沢は「監督がすべてじゃないよ!」と語っている。75歳の谷沢健一が再び、ドラゴンズのユニフォームに袖を通す可能性は低いかもしれない。しかし、現役時代の栄光は、いつまでも色褪せることはないだろう。