「そうなんですよ。いまのM-1て、受けるのが6000組を超えるゆーて。ありえないでしょ。半端ない数です。そんなに面白いやつらが世の中にいるわけないですやん(笑)。予選の下の方は、大して売れてない放送作家が審査員をやってるみたいですけど、『師匠、漫才を30組見たら何が何だかわからなくなります』て、こぼしてましたもん。カラオケで他人の曲を5曲も連続で聴いたら嫌になるでしょ。もうええわ!ってなるでしょ。あれですよ。そら、まっぴらごめんになりますって」
M-1の参加コンビはは1組2000円のエントリーフィーを払って、優勝賞金1000万円をつかむという夢を買う。1組の参加料は安価とも思えるが、6000組いると合計は1200万円になる計算で、優勝賞金を上回る。なかなか合理的だ。視聴率も取れるから放送局も、芸人事務所も、視聴者も、ファンも、とても楽しんでいる。うまく回っているように、はたからは思えるのだが……。
「僕がいちばん問題やと思う点は、お客さんが“何を楽しんでいるか”ということです。今は、ネタが面白いかどうかよりも、芸人が血相を変えている姿が面白いんですよ。負けてクソーってなる顔が面白いんです。芸人はね、ほんまにね、笑えるところだけ見てもろうて、裏は何があっても見せたらアカン、それが我々芸人の気概であり、仕事なんです。
だから、優勝して感激して泣いてどないすんねん、と思います。芸人やのにって。でもね、いちばん見せたらアカンものを見たら、視聴者はいちばん嬉しがる。テレビマンはそこをよう知っとるんですわ」
「芸人の手は、ほんまはグーではなく、パーや」
「二番目にアカンところは、見てるもん(視聴者)が審査に参加し出したことです。『あいつのツッコミがどうのこうの』と言い出したんですよ。審査員にプロとアマの垣根がなくなってもたんです。賞レースが、『面白い/面白くない』ではなくて、『上手い/下手』を審査するもんに変えてしまった。つまり、それまで漫才は“演技”だったものが、“競技”になってしもたんですね。
そうなるとですね、芸人やのうて、さながらアスリートですわな。そやから出番前に舞台袖で握り拳を作ってね、『よし、いこ!』ゆーて気合い入れますやん。芸人の手はほんまはパーでないと。グーで笑えるかいな。力を抜いてパー。手の力を抜いたら、肩の力が抜けるから、お客さんは笑えるんですよ。血管が浮いてて笑えるかいな~!」