自宅地下のスタジオで曲作りにいそしむ高橋
75歳までに実現したい夢
そのピースのひとつが武道館。75歳までにオレの大好きなビートルズが立った武道館に立ちたい。そのためには逆算すると、まず楽曲を作って『THE 虎舞竜』のアルバムを年1枚作って、メンバー集めて、小さい箱のライブから積み重ねて……。
「THE 虎舞竜」のメンバーはオレとベースだけになってるから、去年、YouTubeで新メンバーを募って4人を選んだ。それで、8月に「ラドンナ原宿」ってキャパ100人ぐらいのレストランで、オレのデビュー40周年記念のバースデーライブでステージに上げた。ライブは7年ぶりぐらいかな。
今年は昔大好きだった「NSP」って岩手出身の3人組のフォークバンド(ヤマハのポプコン出身で、1974年『夕暮れ時はさびしそう』がヒット)の平賀和人さんとユニット「NoSP」を組んで、『NSPが好きすぎて』というアルバムを300枚限定で自主制作。中学の頃に「NSP」のイメージで作ってテープに吹き込んでおいた曲や新しい曲を、新しく録り直したんだ。それでライブをやった。改めて考えたら、自分のルーツって、「NSP」のフォーク&矢沢永吉さんのロックンロールだったんだなってわかった。これがオレのオリジナリティなんだって。
武道館っていっても、昔みたいにバーンと売れたい、って欲はまったく無くなった。大きな箱で何万人集めたとか、いくら稼いで、とかはもうやったから。そのときは楽しかったけど、新しいチャレンジをしたい。数字じゃなくて、内容の充実を求めてる。心をギュッと鷲づかみにするような曲を作りたいね。そうやって、もはや楽しく生きたいんだよ。
今のオレは音楽に夢中になっていた中学生の頃に戻ったみたいに満たされた気持ちで、100点満点中、90点の楽しい生活を送ってる。65歳になってこんな気持ちでいられるなんて、『ロード』が売れた34歳のときには思ってもいなかった。オレの人生、『ロード』は第一波のラッキー。美佳さんとの結婚も奇跡的な出会いで第二波のラッキー。第三波も確実にあると思ってる。何歳で死ぬかなんてわからないけど、第三波がなくて死ぬわけないよ、こんなに元気なジジイが(笑)。
(了。前編から読む)
◆取材・文/中野裕子 撮影/山口比佐夫