「東大=1」「弁護士=1」の価値観が広がる時代に
──『彼女は頭が悪いから』は、東大生・東大大学院生5人が起こした集団強制わいせつ事件を基にした小説で、大きな話題になりました。
その「文庫版あとがき」にこうあります。<日本社会では、東大を「1」とする秤(のような感覚)があります>。全くその通りだと思いました。そしてこの、東大的なものを「1」として、そこから「1」から「0」の間に「序列」をつけて、物さし上に人を位置づける見方が、あらゆる領域に広がっていないでしょうか。
たとえば弁護士も「1」に見られやすいんです。役者としての僕を冷ややかに見ていた人が、弁護士でもあると知ったとたん、すごく丁寧な挨拶をしてきたりすると、ふと鏡を観ているような気になって心に刺さります。もちろん役者の世界にも<「1」からの序列>はあって、「売れているか」で評価されたり、大河ドラマに出ていれば凄いとなったりすることはあると思います。僕のなかにも、この序列は根を張っていて、そうだからこそ「東大に入ろう」とか「司法試験を受けよう」とか思い始めたのかもしれません。今の僕から見たら過去の自分はほんとうにダサいところだらけのやつだなと、気づくのにこれだけの時間がかかったということですかね。
──「東大=1」「弁護士=1」ではない価値観を広げていくのが、みやたにさんのアート活動の目的ですか?
いや、そういうわけではないです。自分がなぜアート活動に夢中になっていったのかに、僕自身がようやく気付いたところですし、「東大=1」的な価値観で世の中が上手く回っている面もあるので、社会を変えたいとか、社会に疑義を呈したいという大それた気持ちはありません。今、僕がこうして取材を受けているのは、「弁護士=1」の世界に生きているからだというのも、わかっています。
ただ、僕のアート活動を見て、世の中の価値観はそれだけでないと気付いてくれる人が一人でもいたらうれしい。「おじさんのくせに頑張ってるな、俺もやってみるか」程度でもかまいません。そうした小さな積み重ねで、社会は良い方に変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。だから弁護士も、アート活動も、全力でどちらもやっていきたい。そうこうしているうちに、また「芋づる式」で、新しい何かに出会えるかもしれません。山登りは1メートル登ると1メートル分だけ下界の景色が変わりますが、僕も明日、また少しだけ違う景色が見られたらいいなと願っています。