さらに、「第一次大戦勃発による特需」もあった。そのころ世界の常識では「工業製品(機械等)はイギリス製、化学製品(薬品等)はドイツ製が最高」だったが、英独両国とも第一次世界大戦を戦っていたため軍需生産が優先となり、世界市場の需要に応えられなくなった。そこで両国製品ほど品質は高くないが、そのぶん安価な日本製品が世界中で「売れる」ようになったため、景気がすこぶるよくなった。
庶民が自分たちを治める政権をなにによって評価するかと言えば、その最大のものはやはり景気だろう。残念ながら自由や民主主義では無い。自由や民主主義を認めない共産主義を確立したソビエト連邦は崩壊したが、中華人民共和国がいまだに健在なのも中国共産党が中国を「国民が外国に行ってグルメを楽しめる国」にしたからである。そういう状況さえあれば、国民は国家が陰でどんな悪いことをしていようがあまり気にしない。それに、下手に「自由だ、民主主義だ」などと叫んで刑務所や収容所に送られたら元も子も無い。
またマスコミも国家の統制下にあるから、国家の悪行、たとえばチベットでどんなひどいことをしているか等も秘匿され、正確な情報が国民に伝わらないので自由や民主主義が大切だということに気がつかない。それが現在の中国の状況である。つまり、しばらくこの体制は維持されるということだ。
いまはともかく、大正初期の日本もこのような状況下にあった。当時の日本いや大日本帝国には一応「報道の自由」はあった。皇室関係については後に「宮中某重大事件」(他ならぬ山県有朋が火をつけた事件)などと表現しなければならないケースもあったが、少なくとも英米が日本の「二十一箇条」についてどのように見ているか、詳しく報道することは可能だった。
これも厳密に言えば、後世のわれわれは前にも述べたように「すべてのデータを知っている」。しかし、当時の日本人には国家機密や軍事機密上の制約があって、すべてのデータを知るチャンスは無かった。しかし、たとえば元老山県有朋がこの要求をどのように考えているか、なぜそう考えるのかは詳しく報道することができた。だが日本のマスコミつまり新聞のことだが、結局そういう努力をほとんどしなかった。「十万の英霊」を「安らか」に導くためには、そういう「マイナスの情報」は必要無いからだ。
バカにしてはいけない。いまの日本だって、すでに述べたように夏の甲子園野球大会開催や強行にマイナスな「アメリカメジャーリーグ関係者の批判」は、ほとんど報道されないではないか。たしかに新聞社も一企業体であり「稼がねばやっていけない」のだが、日本の新聞は日比谷焼打事件以来、部数拡張という利益を求めて大衆を扇動する「宗教新聞」に成り下がった。
外国とくに欧米では、それぞれ独立したメディアである新聞とテレビ・ラジオが日本では企業として一体化しているので、本来なら新興のメディアであるテレビ・ラジオが新聞の欠点を批判し矯正していくはずが、逆に「宗教新聞」という「伝統」を受け継ぐ形になってしまった。この「伝統」を打破するためには、そういった過去のしがらみの無いネット上のマスメディアに期待するしかないだろう。もちろん新聞社の「ヒモ付き」のものもあるから、その点は注意を要するが。