3人の子供を養うために
その後の曙さんは、両膝がボロボロの中、「家族の前で優勝したい」と奮起。もう2回の優勝を果たし、2001年1月に引退した。だが、後援会の解散で資金援助が絶たれ、先行きは暗かった。
「当時、親方になるための年寄株を手に入れるには3億円が必須。さらに、師匠の東関親方の娘との縁談を断った時点で、同部屋は継がせてもらえなかった。自分で部屋を興すには約10億円が必要でしたが、支援してくれる後援会は消滅。もう部屋を持つという道は閉ざされていたのです」(前出・角界関係者)
部屋の弟弟子たちには人一倍慕われて、そのアドバイスも的確と評判だったが、角界での自分の居場所を見失ってしまった。心に穴があいていたところ、K-1サイドから声がかかり、2003年大みそかにサップとK-1で戦う道に進んだ。体が壊れて相撲を引退したのに、愛妻とまだ幼かった3人の子供を養うためにと、格闘家、プロレスラーとして、身を削り続ける人生を選択したのだった。
「リングに立つだけでなくステーキ店を運営したりと、幅広く働いていました。裕福ではなかったかもしれませんが、家族のために日夜汗を流していたのです」(前出・大相撲担当記者)
そんな中、悲劇が起きた。2017年4月、北九州市でのプロレスの試合後に倒れ、37分間も心臓が停止。一命をとりとめたが重度の記憶障害が残り、車いすとベッドを往復する生活となった。それでも麗子さんをはじめ、家族は変わらぬ愛で献身的に看病し続けた。曙さんが子供たちに、よく言い聞かせていた言葉がある。
「常に謙虚でいること。誰のことも愛すること」
現役時代、貴乃花に勝って手にした懸賞金を、帰り道でホームレスに差し出したエピソードは有名だ。しこりの残る形で角界を去った後も、東関部屋に顔を出せば、必ず弟弟子たちにごちそうするのが恒例だった。
若貴を倒して優勝した翌朝のスポーツ紙に「正義の悪役」とまで書かれた曙さん。打算的な人生を選ばず、名声を捨ててまで、唯一見つけた純愛を貫いた。今際の際の言葉は、麗子さんへの「アイラブユー」。家族愛にあふれた、見事な人生だった。
※女性セブン2024年5月2日号