佐賀と岐阜では予定されていたすべての公務に出席された雅子さま(10月、東京・千代田区)
2つ目は、悠仁さまの大学進学である。
「世間の反応を見ながら、悠仁さまの進学先を熟考してこられ、受験は目前です。ここしばらくは進学の環境整備で頭が一杯だったはずです」(前出・皇室記者)
そんな渦中での美智子さまの突然の不調に、紀子さまはますます追い詰められたようだ。1990年に秋篠宮さまと結婚された紀子さまは、一貫して美智子さまをお手本としてこられた。
「紀子さまが、皇族の活動を取り上げたテレビ番組のビデオを繰り返しご覧になり、美智子さまの所作、なさりようを学ばれたというのは有名な話です。紀子さまは皇室に入られてから毎週のように皇居を訪ねられ、美智子さまから料理や裁縫の手ほどきを受けたり、“皇室の子育て”について教えを請うたりと、密な交流を重ねられました」(宮内庁関係者)
皇室になじもうとひたむきに努力された紀子さま。美智子さまもその思いに応えられてきた。
「美智子さまは皇后でいらっしゃった頃、テレビなどで紀子さまの様子をご覧になり、気がついたことがあればアドバイスをされていました。上皇ご夫妻のご静養先に秋篠宮家が合流することも珍しくありませんでした」(前出・宮内庁関係者)
眞子さんの一連の結婚騒動に際しては、2018年、過熱する報道に宮内庁がホームページ上で苦言を呈する事態に。美智子さまが「ご家族のどなたかが苦しい状況におありの時は必ず、それは家族全体の苦しみだから」と眞子さんや紀子さまを励まされたことが綴られた。
「結婚前日に上皇ご夫妻のお住まいを訪れ、結婚の報告をした眞子さんを、別れ際、美智子さまは別れを惜しむかのように無言で抱きしめられた。美智子さまの優しさに当時の紀子さまは救われたことでしょう」(前出・皇室記者)
30年以上にわたり、深い紐帯を結ばれてきたおふたりだが、この関係も永遠ではない。
「美智子さまは今後、上皇さまを支えながら、ご自身のリハビリに励まれることとなります。大腿骨骨折のリハビリは非常に過酷ですから、美智子さまに、紀子さまを気遣う余裕はなくなってしまうかもしれません」(前出・皇室記者)