島が真田からもらった暖簾
役者も塩梅が大事
真田と島は家族ぐるみの付き合いだった。真田は島の母である淡路恵子(享年80)を「おっかあ」と呼び、自分の母親のように慕っていたという。ロサンゼルスから日本に戻ると必ず淡路に会いに行き、淡路の作るスペアリブが好物だったようだ。
「ある時、真田はロスで母(淡路)のレシピをもとにスペアリブを作ってみたものの、どうしても味が再現できないと悩み、母に電話をかけてアドバイスを求めていました。そしたら母が、『それは塩梅が違うんだよ。同じ1000円の肉でも何十年と味付けした人と初めての人と、同じ塩加減でも塩梅が違うのよ。役者も同じでしょ』と諭していました。真田は『そうか、頑張って作ってみるよ」と納得していましたね』
淡路をとにかく慕っていたという真田。淡路が亡くなった際も、真田はすぐに島に電話をかけてきたという。
「おっかあに会いたかったな。何もしてあげられなくてごめん、日本に戻ったら連絡するよと涙ながらに言っていましたね。『今頃うちのお袋(1989年に死去)とおっかあは天国で飲んだくれてるから心配するな、生きてる俺たちが頑張ろう』という真田の言葉にグッときました。広之は本当に友達を大切にしてくれる、物静かで誠実な男です」
溜まり場だったラーメンパブ
真田と島の青春時代を語るに欠かせないのが、ラーメンパブ『リッチハウス』(現在は閉店)だ。
六本木の雑居ビルの2階にあり、5000円で飲み放題・食べ放題という若者にとっては天国のような場所だったという。特に人気だったのは、シンプルながら抜群に美味しい醤油ラーメンだった。
「『リッチハウス』は僕たちの青春そのものです。僕たちが20代の頃はほとんど毎日のようにそこに通っては、たわいもない話をして、お酒を飲んで、時には朝まで騒いでいました(笑)広之がハリウッドで成功してからも帰国すると時々『リッチハウス』に通っていました。
