作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十六話「大日本帝国の理想と苦悩」、「大正デモクラシーの確立と展開 その4」をお届けする(第1469回)。
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現在も韓国で「売国奴」呼ばわりされている大韓帝国総理大臣・李完用ら「親日派」知識階級の頭にあったのは、「日本の傘下に入ることによって、李朝五百年の間に朝鮮民族を冒し続けた朱子学の毒を除去する」ということだった。では、「朱子学の毒」とはなにかと言えば、士農工商(=人間は平等では無い)、男尊女卑、外国文化の完全な否定などであった。すべて西洋近代化のためには障害となるものばかりである。
現代の韓国人は、誤った偏向教育によって「日本が邪魔しなければ韓国は独力で近代化できた」などと信じているが、そもそも国王を頂点とし、両班(貴族)の下に農工商がいて身分制度が絶対的に確立していた国が、いったいどうやって「一人一票(=人間はすべて平等)」を確立しようというのか。そんなことは、絶対に不可能である。
キリスト教の世界ならば、「神の下の平等」が成立する。絶対神という「平等化推進体」が存在するから、「国王でも悪いことをすれば庶民の手でギロチンにかけられる」。しかし儒教の世界では国王は天の委任を受けた存在であり、それを補佐する官僚も厳正な朱子学の試験(科挙)によって選ばれた、愚かな庶民とは違うまったくのエリートだから、絶対的な官尊民卑になり民主主義の基本である万民平等が絶対的に実現しない。
東アジア世界のなかでは、唯一日本だけが外来の朱子学と固有の神道を合体させ、伝統的な権威であった天皇を平等化推進体に押し上げて天皇の下の万人平等を実現した。このあたり、天皇に関することならばなんでもいちゃもんをつけたがる左翼歴史学者が、「明治維新後も華族、士族、平民といった身分があったではないか」と言うかもしれないので言っておく。
たしかにそうした身分に対する特権はあったが、政治的には基本的に平等である。華族や士族しか総理大臣になれないということは決して無く、“平民宰相”原敬の存在がそれを証明している。また、差別が完全に払拭されたわけでは無いものの被差別部落民も「新平民」とされ、少なくとも江戸時代までの身分からは解放された。
大韓帝国には、日本よりもっと激しい差別下に置かれた奴隷階級がいた。「奴婢」とか「白丁」と呼ばれた人々である。そうした人々を両班や良人(庶民)と平等だなどと言っても、朱子学体制下ではそれを実現するのは不可能であることがわかるだろう。実際、金玉均は奴隷解放を行なおうとしたが挫折した。そんな不十分な改革ですら閔妃は激怒し、彼を暗殺し遺体をバラバラにして晒し者にして妻子すら殺そうとしたことをどうぞお忘れなく、と言っておこう。
もっとも、仮に奴隷解放宣言が出されたとしても、そんな一片の通達で五百年続いてきた差別が無くなるはずもないことはおわかりだろう。ではこうした哀れな、朱子学体制では絶対に解放されない奴隷階級を真の意味で解放したのは誰か? もちろん日本である。論理的に考えれば、誰でもわかるはずだ。