まず日本は、それまで戸籍すらなかった朝鮮の奴隷階級に戸籍を与え、姓を名乗ることも許した。日本の農工商が明治維新以来、姓を名乗れるようになったことと同じだ。そしてここが肝心だが、併合後の一九二三年に日本は朝鮮半島で戸籍法を改正し、それまで記載されていた旧身分を除外した。つまり戸籍を見ても出自を知ることが不可能になり、これをもってまさに天皇の下の平等が完成したのである。
前号でも指摘したが、いまの韓国人に、「日韓併合以前、あなたの家系の身分はなんでしたか?」と聞くと、判で押したように「両班でした」と答える。そんなはずが無いではないか。エリートというのはどこの国でもほんの一握りで、あとは庶民かそれ以下のはずである。逆に民主主義社会のはずなのに「いや、ウチは奴婢でした」と答える人は、私の知る限り韓国人には一人もいない。
本当に万人平等な社会が現在の韓国で実現しているならば、先祖がどんな家系であろうと問題無いはずなのだが、これが自分の国の歴史を直視しない韓国人の問題点である。これも論理的に考えればわかることだが、じつは朱子学体制の朝鮮半島ではまったく不可能であった「奴隷解放」を完全に実現したのは、日本なのである。
これは本来「朝鮮半島人権史」における金字塔であって、いまでもアメリカの黒人層が奴隷解放を成し遂げた大統領エイブラハム・リンカーンを尊敬し感謝するように、韓国人のなかにも「いや、ウチの家系は大韓帝国時代は奴婢で散々差別されてきましたが、日本のおかげで解放されました。日本には感謝しています」という人がいてもいいはずなのだが、見事に一人もいない(笑)。
いや、笑い事では無い。一九四五年(昭和20)の日本の敗戦までは感謝する人が大勢いて、だからこそ朝鮮系ながら大日本帝国のために特攻兵となった人もいた。日本とは逆に、植民地インドの人々を差別し動物扱いした大英帝国とはここが違う。まったくと言っていいほど違うのだが、ここで読者は疑問を抱かないだろうか。なぜ韓国人はそういうことを忘れてしまったのか? 日本人もそういうことをなぜ意識しなくなったのか?
じつは、それは一人の天才、いや私に言わせれば「悪の天才」がいたからだ。その「悪の天才」が考えたじつに「見事」な奸計が、ちょうど朱子というヒステリックな儒学者が生み出した朱子学が五百年にわたって中国・朝鮮を呪縛したように、いまの韓国を呪縛しているのである。