「大虐殺」に「敵前逃亡」
その人物とは誰か? ここで、前回述べたことを少し思い出していただきたいのだが、「三・一独立運動」をむしろ騒擾(単なる暴動)ととらえ、その原因について「ひょっとしたら(朝鮮独立が)上手くいくかもしれないと狙った在外朝鮮人の煽動に由来した」と喝破した、親日派のジャーナリスト閔元植が言う「在外朝鮮人」こそ、その人物なのである。名を李承晩という。
〈李承晩 イ-スンマン 1875-1965
韓国の独立運動家、政治家。
高宗12年3月26日生まれ。1904年アメリカにわたりハーバード大などにまなぶ。
1919年上海に樹立された大韓民国臨時政府の大統領となる。再渡米し、1945年帰国、1948年大韓民国初代大統領となる。李承晩ラインを設定して、日本と対立。反共、独裁的政治をすすめた。1960年四・一九革命で辞任、ハワイへ亡命した。1965年7月19日死去。91歳。黄海道出身。〉
(『日本人名大辞典』講談社刊)
仮にも一国の大統領を務めた人を「悪の天才」などと謗るのはケシカランと言う人がいるかもしれないので、念のために彼がどんな人間かを示す二つのエピソードを挙げておこう。
一九四五年、アメリカは朝鮮半島の南半分を日本から完全に切り離して「独立国」とするために、アメリカ在住の李承晩をソウルに送り込んだ。結局、アメリカの強力なバックアップの下に李承晩を初代大統領とした大韓民国つまり現在の韓国が成立したわけだが、アメリカが彼を選んだのは、徹底的な反日主義者であると同時に反共主義者でもあったからだ。
アメリカは第二次世界大戦中こそソビエトなどと手を組んで強敵日本を倒したが、今度は反共の防壁として韓国人を利用しようと考えたのである。そしてアメリカの手先となって反共に乗り出した李承晩は、同じ朝鮮民族を済州島において大虐殺した。一九四八年四月三日のことだったので、「済州島四・三事件」と呼ばれる。住民が共産主義者だったという、たったそれだけの理由で裁判すら行なわずに同胞を大虐殺したのである。虐殺されたのは約三万人(もっと多いという見解もある)と言われる。
そして、もう一つ。李承晩がアメリカによって朝鮮半島南部の大韓民国の支配者となったように、朝鮮半島北部には共産主義国家のソビエト連邦や中華人民共和国の支援によって金日成が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を建国した。その金日成が共産主義勢力で半島を統一しようと韓国への侵略を開始した。いわゆる朝鮮戦争だが、戦争が始まったとたん、李承晩は民衆や部下を置き去りにして身内だけで首都ソウルを脱出し、安全な場所に逃亡したのである。
そればかりでは無い、自分たちだけが北朝鮮軍の追跡をかわすために、避難経路にあった橋を爆破させたのである。このたった二つの例を提示しただけでも、李承晩という人物がじつにとんでもない「絶対に一国のリーダーになってはいけない人間」だということがわかるだろう。しかし、アメリカはいまさら李承晩をクビにはできないと朝鮮戦争に全面的に介入し、なんとか北朝鮮軍を追い払うことには成功した。
皮肉なことに、多くのアメリカ兵の血を流して李承晩を守る結果になったわけだ。アメリカの目論見としては、反日および反共という目的を貫くためには同胞を多数虐殺するような人間でも必要だったというのである。