アパパネやアーモンドアイなどを育てた調教師・国枝栄氏
1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の牝馬三冠を育てた現役最多勝調教師・国枝栄氏が、2026年2月いっぱいで引退する。国枝調教師が華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、サラブレッドという動物の魅力を綴るコラム連載「人間万事塞翁が競馬」から、アパパネについてお届けする。
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アパパネは2歳夏の2009年7月に福島の1800mでデビュー。3着に負けたものの、いい競馬ができそうだなというような馬だった。ところが、いったん放牧に出して10月に戻ってきたらびっくり。夏場にぐっと成長したようで、体重も20キロ以上増えて別馬のようにたくましくなっていた。この時期、馬は人間の想像を超える進化を遂げることがある。
未勝利戦を危なげなく勝ったことで、これならGIジュベナイルフィリーズもいけると思った。1勝馬でも抽選で出られるかもしれなかったが、元気いっぱいだったので確実に出走できるようにするため、中1週で500万下(現1勝クラス)の赤松賞を使って、目論見通りに勝つことができた。このレースでは1分34秒5という2歳にしては破格の時計。11月末には関西へ移動、栗東トレセンで調整して本番に備えたところ、期待に応えて「最優秀2歳牝馬」となってくれた。
年が明けて一息入れ、3月のチューリップ賞を使ったけど2着。やはりこの馬はレースで体を作っていくのだと確信。その後も栗東に滞在、本番では期待通り桜花賞馬になってくれた。ここでも1分33秒3の桜花賞レコードで私にとって初のクラシック勝利。金子真人オーナーにとっても牝馬でのクラシックは初めてということで、ますます縁が深くなった。
問題は2冠目のオークス。マイルをレコードで走るような馬だったので、距離に不安があったのは確か。母親のソルティビッドも勝ち鞍が1200mまでだったし、長距離向きの伸びやかな体型ではなかった。そのため桜花賞後は坂路を使わないで調整していたら、暑くなってきたのもあったのか、馬体が絞れて、見た目も「えっ?」と思うぐらいスラッとしてきた。それで、これなら2400mでも行けるなと思えてきた。
オークス当日は雨でアパパネにはけっしてプラスにはならない稍重馬場。それでもマサヨシ(蛯名正義騎手)が上手く乗って、直線でノリ(横山典弘騎手)と壮絶な叩きあいになり、「まったく並んでゴールイン! アパパネかサンテミリオンか!?」。
