小林ひとみ
デビュー作が5万本ヒットした伝説のセクシー女優、小林ひとみ(62)。結婚と出産を機に1998年に業界を引退するつもりだったが、稼がない夫の代わりに一家の大黒柱として再びストリップやヌードの世界を生業に復活する。家事、育児と仕事をどのように両立していたのか。本人がインタビューに応じた。【前後編の後編。前編から読む】
進んでPTA活動に取り組んだ理由
出産後の復帰仕事はストリップだった。ストリップ劇場『浅草ロック座』の制作スタッフからのオファーで、小林さんは「脱ぎはするけどお芝居仕立てにしてほしい」という条件付きで出演を決意したという。
「最初のデビューはもちろん浅草ロック座。その後、今はもう閉店しているけど、北海道、宮城県、福岡県など系列店にもよく出演しました。だいたい1クール10日から15日間とかだから、家にはなかなか帰れない。母が子供を育ててくれたようなものですね」
小林さんが結婚したのは、当時所属していた事務所の社長だった。小林さんは実母と共に二人三脚で子供を育てた。そして小林さんは産後間もないタイミングで稼ぎ手となった。産んだばかりの子供と会えない日々は、辛くはなかったのか。
「もちろん、寂しい思いもあったし子供に申し訳ない思いもあった。でも働き手がいないんですから、仕方のないことですよね。地方のロック座に回るときは7人くらいのスタッフを引き連れて行っていたから、わいわいと賑やかに楽しく過ごせたし、仕事で寂しさを紛らわしていました」
だからと言って、育児にいっさいかかわらなかったわけではない。子供が就学すると親に降りかかるのが、PTAなど保護者としての活動だ。
「役員決めの時など、行ける時はできる限り行きました。誰もなりたがる人がいなかったんですけど、母から『あんたね、そういう役割こそきちんとやりなさい。そうすれば自ら他の親御さんとも関わりが持てるのだから』と言われ、確か広報委員のような委員会の活動をやりましたね。
他のお母様方から嫌な目で見られることもなく、ごく普通に関わり合いを持つことができました。もちろん周囲の人は、私を『小林ひとみ』だと気づいていたと思います」
委員会の活動を行う中で「夫がファンなのよ。サインしてくれない?」と、サイン色紙を持ってきたお母さんもいたという。
