西武時代の工藤公康氏
寝ないで投げて完封
山本:とにかく練習量はもの凄かったですよね。
工藤:自分たちで最低限これって考えたものを必ずやってた。
山本:晩年になってもやってました。例えばキャンプで100メートルのタイムで若手に勝てなくなるんですけど、本数だけはしっかり走る。40歳からは休まなくなりました。落合(博満)監督時代のキャンプは6勤1休で、その休みも球場行ってジョギングやウエイトしてましたし、大晦日も元日もナゴヤ球場の室内でひとり走って投げてました。休み明けが一番怪我しそうなんで、常に体に油を流しておかないといけない。
工藤:俺も年齢を重ねるたびにオフの休みが短くなって、最後はほぼほぼなかった。まさに“油切れ”にならないように体を動かすんだよね。
山本:ちょうど僕らって昭和から近代野球への転換の過渡期の選手なんです。“走れ走れ”から1990年代になるとウエイトや科学的トレーニングが出てきて、きちんと資格を持つトレーナーも4~5人と増え、バランスの良い練習が入ってきました。
工藤:その過渡期にプレーできたからこそ最初にベースができて、長く現役を続けられたのは確か。
山本:星野(仙一)監督のキャンプなんて酷かったですから。巨人の“地獄の伊東キャンプ”が有名だけど、中日の秋の浜松もヤバかった。歩いて球場に行って、球場でランニングして、帰りもホテルまで走り、着いたらエアロビクスと腹筋背筋。夜10時に終わってホテルの下のラーメン屋で1杯食べてバタンキューです。まあ、よく死なずに1か月やってました。
工藤:中日に行っていたら長くやれてないな(笑)。俺の場合、4年目までポストシーズンがなかったから12月27日まで投げ込みしてた。それでも、明けて1月4日の朝刊に監督の広岡(達朗)さんのコメントで「寮生が帰ってきてない。やる気のないやつは帰ってこなくて結構だ」って記事が載ってるんだから……。
山本:とはいえ、ブルペンで完璧に投げられても試合でできるのはその3割とかですよね。
工藤:そうだね。3割といっても“ボール半個分の出し入れ”ができるかの基準での3割だけどね。
山本:正確に投げられる確率を高くするには投げ込みが必要。体に覚えさせることが重要ですよね。
工藤:「投げ込み」っていう言葉は、“必要に応じて投げる”ということだから。投げて負担のない投げ方を覚えたのはある。200球近く投げた時にいい球が行き始めるとか。
山本:今のシステムのほうが全員をちゃんと救えるというか、みんなが力を出せるシステムになってきていますね。僕らは生き残り合戦みたいなところで野球やってきた。
