公明党が立憲民主党と連携し「中道改革連合」を結成した(時事通信フォト)
祭政一致という言葉にあるとおり「祭(祀)」と「政」の指導者は同じであり、古来、日本では政治と宗教は一体化していた。その後、時代の変遷とともに信教の自由が導入され、日本国憲法では「国家が特定の宗教を援助・圧迫せず、宗教的中立を保つ原則」、すなわち政教分離が規定された。しかし、いまなお両者は密接な関係にある。政治が混迷する時代に、「祀」はどこへ向かうのか──。今回の衆院選にあたって、創価学会を支持母体とする公明党が立憲民主党と連携し「中道改革連合」を結成、「政治と宗教」についていま一度注目が集まっている。日本における政治と宗教について、そして公明党について掘り下げる。【前後編の後編。前編から読む】
公明党は結党から30年で与党の一員に
日本の政治と宗教を考える際、存在感が際立つのが公明党と創価学会の関係だろう。創価学会は1930年に牧口常三郎氏が創立した日蓮正宗系の教育団体・創価教育学会をルーツとし、1952年に宗教法人となり、その後、地方選挙や国政に進出。1960年に3代目会長に就任し“カリスマ指導者”と称された池田大作氏の提案によって公明党が結党された。ノンフィクション作家の広野真嗣さんが語る。
「当時の公明党は、政治と宗教の一体化をめざす『王仏冥合』や、仏法民主主義による大衆政党の建設といった宗教色の強いスローガンを掲げました。宗教的な政治権力を打ち立てる『国立戒壇』を本気で唱える“政教一致”の宗教政党でした」(広野さん・以下同)
結成当初から、確固たる宗教政党だったが、ある事件を機に教団と党の形式的な分離を強調せざるをえなくなった。
「当時の創価学会は攻撃的で、ほかの宗教の仏壇を破壊して創価学会の本尊に取り換える過激な運動などを続け、共産党と激しく衝突していました。
ところが1960年代後半、創価学会を批判する書籍の出版中止を公明党が働きかける『言論出版妨害事件』が発覚して大きな社会問題となり、公明党と創価学会の政教分離が徹底されることになったのです」
その後、野党として活動していたものの、1993年に誕生した細川護熙連立政権で初めて与党の一員となり、1994年に新進党に合流。だが新進党が瓦解したことで、1998年に公明党を再結成し、自社さきがけ政権が揺らぐと自民党に急接近した。そして1999年、小渕恵三内閣のもとで自民と公明は初めて連立政権を組む。2000年の衆院選では比例でそれまでの過去最高となる776万票を獲得し、存在感を示した。宗教学者の島田裕巳さんが語る。
「さらに2003年の総選挙後に連立与党の一角だった保守党が解党し、公明党は連立与党における自民党の単独パートナーになりました。自民も公明の集票力を頼るようになり、与党内で公明党の発言力が高まりました」
2009年の民主党政権誕生で野党に転落するも、2012年の安倍政権発足とともに与党に復帰し、昨年10月まで連立政権にとどまった。宗教専門誌『宗教問題』編集長の小川寛大さんが解説する。
「自民党と連立政権を組んでいた時代には、選挙においても公明党、ひいては創価学会への配慮が見られました。11月の学会創立記念日の行事などと被らないよう秋の選挙はなるべく外すといったように、学会員が選挙に集中できるようスケジュールが組まれていたのです」
与党・公明党は連立政権の「バランサー」として機能したと東洋大学名誉教授の薬師寺克行さんは語る。
「公明党は政策のベクトルがリベラル向き。国家より市民一人ひとりが大切との考え方で、軍事力を増して強国になるより他国との協調を尊ぶ平和主義の政党です。
自民党がタカ派的な政策を進めようとした際のブレーキ役として機能し、憲法改正や安全保障政策では与党のバランスを取る役目を果たしました」
しかし26年間続いた自公連立は次第に制度疲労し、創価学会員の不満が高まってきたという。
「公明党はクリーンな政党のはずなのに、選挙になると自民党の裏金議員を助けないといけない。純粋な気持ちで選挙活動する学会員からすれば裏切られた気持ちになります。そうした不満が高まったうえにタカ派の高市さんが首相になり、学会に批判的とされる麻生太郎さんらが政権の中枢に入った。さすがに腹に据えかね、多くの学会員が怒り心頭に達したことが連立離脱の引き金となりました」(薬師寺さん)
だが単に連立から離れるだけでは展望が開けない。そこで繰り出した乾坤一擲の秘策が新党結成だった。
「公明党は単独の選挙を26年もの間、行っていません。公明党だけで選挙をしても小選挙区で勝てる見込みが薄く、比例でも集票力が落ちるのは明らかでした。そこで中道という基軸を打ち出し、立憲民主党と合流することになりました」(広野さん)
「新党結成に宗教的な思惑が強くあるわけではない」と分析するのは小川さんだ。
「公明党はここ数年でどんどん獲得票数を落としており、単独で選挙に挑んだ場合、党が瓦解する可能性すらありました。それは立憲民主党も同じでしょう。新党結成は、“この選挙を乗り切る”という思いの一致でしかないと思います」
