2024年12月恒例の餅つきでの高山若頭(当時/手前)(時事通信フォト)
ツートップの逮捕・収監で飛び交った臆測
六代目発足当初は、司組長と高山若頭(当時、以下同)による六代目体制は「長くない」という見方がありました。
司組長は若頭補佐時代の1998年、高山若頭は2010年に逮捕・勾留されて、最高裁まで戦っていたので、「七代目誕生」のタイミングや人選については早い段階から警察とメディアがあれこれ臆測していたのです。
でもあっという間に20年がたちましたね。
司組長の出身団体である弘道会の影響力
現在は、2015年の山口組分裂で二次団体の山健組を中心とした勢力が脱退したことから、司組長の出身団体である弘道会の影響力がますます強くなっています。2021年には「五代目山健組」の中田浩司組長が六代目山口組に復帰、中田組長は最高幹部の一人についていますが、今も「弘道会一強」の状況は変わっていません。
かつての山健組は、三代目山口組の山本健一若頭が初代を務め、田岡一雄三代目の信任も篤く、「山健(組)にあらずんば山口(組)にあらず」とまでいわれていました。
しかし、1992年の暴対法施行、景気の低迷でシノギ(資金獲得活動)が細くなったことなどから、山健組の存在感は弱まっていきます。
1995年には、京都府警の警察官が末端の山口組組員によって誤射される事件が起こり、二代目山健組組長で五代目山口組を襲名した渡邉芳則組長に「使用者責任問題」が問われました。最高裁でも「組長に責任がある」と認定され、なんか世間様は盛り上がってしまったんですよね。
一方で、弘道会は名古屋周辺を中心に性風俗業から建設・解体業などで資金力をつけていたのです。
2009年には、安藤隆春警察庁長官(当時)が「弘道会壊滅作戦」をスタート、「弘道会こそ山口組の強大化を支える原動力」「弘道会の弱体化なくして山口組の弱体化はなく、山口組の弱体化なくして暴力団の弱体化はない」と檄を飛ばすほどの存在感がありました。
