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越路吹雪版『愛の讃歌』誕生秘話 作詞家・岩谷時子が描いた普遍的な愛
越路吹雪版『愛の讃歌』誕生秘話 作詞家・岩谷時子が描いた普遍的な愛
『愛の讃歌』(越路吹雪)、『男の子女の子』(郷ひろみ)など、数々のヒット曲を世に送り出した作詞家・岩谷時子(享年97)。どのような思いを詞に込めていたのだろうか。『愛の讃歌』を手がけてから70年目を迎えるいま、彼女と親しかった人々の話から探ってみよう。(本文中一部敬称略)【全3回の第2回】越路吹雪とともに東京へ 太平洋戦争が終わり、宝塚歌劇団は新しい局面を迎える。優秀な団員やスタッフが東京の映画会社から引き抜かれるようになったのだ。 その波に乗り、1951年、越路吹雪は宝塚歌劇団から東宝へ移籍。東宝を選んだ理由は、宝塚歌劇団の創設者・小林一三の長男が社長を務めていたからだ。 小林は「越路吹雪をひとりで東京に行かせるのは危ない」と、宝塚歌劇団の出版部の所属だった岩谷時子を付き人にして東京へ送り出したという。 2人が東京にやってきた翌年の1952年に、突然、岩谷に訳詞の依頼が舞い込む。それは、1951年に越路が出演した舞台『モルガンお雪』の劇中で歌った英語の歌『ビギン・ザ・ビギン』を日本語に訳す仕事だった。英文科を卒業していることや、戦時中、雑誌の余白に自作の詩を載せていたことを知っていた越路が、岩谷を推薦したのだ。 岩谷の訳詞は評判を呼ぶ。そして次々と海外の曲の訳詞を担当するようになっていく。  なぜ、彼女の訳詞が評判を得たのか。何度も岩谷に取材をした経験を持つ音楽評論家の田家秀樹さんは、次のように分析する。「岩谷さんの訳詞はいわば、意訳です。原語を直訳すると、越路さんの雰囲気に合わなくなってしまう。彼女は原語の世界を大切にしつつも、“越路さんにはこんな歌を歌ってほしい”と願って訳していた。それは、岩谷さんが越路さんのファンの代表だったからだと思います」 そんな2人の関係を背景に生まれたのが、越路版『愛の讃歌』だ。越路版『愛の讃歌』は急遽、生まれた 越路が『愛の讃歌』を初めて歌ったのは1952年。日劇のショーでのことだった。ショーのトップを務める二葉あき子さん(享年96)が急に声が出なくなり、その代役として越路が歌うことになったのだ。 このとき、越路に歌うようすすめたのは、作曲家の黛敏郎さん(享年68)だった。ただ、歌詞は英語。越路が日本語で歌うことにこだわったため、岩谷が急遽、日本語訳をつけることになったのだ。当時のことを、岩谷はインタビューでこのように振り返っている。《テープも何もないころでしょ。(編集部注・黛さんが)弾きながら(編集部注・『愛の讃歌』の意味を)説明して下さいました。訳してもらいながら、けいこ場のピアノの上で「あなたの燃える手で」って書きました》(『わたしの流儀 ひたむきに生きる女性たち』より)『愛の讃歌』は1963年に47才で亡くなったフランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフの大ヒット曲。ピアフは、飛行機事故で亡くなったプロボクサーの恋人を思い、“愛する人のためなら、髪の色も変え、国も友も捨ててもいい”といった内容の歌詞を書いている。 ピアフの歌詞が身を焦がすような情熱的なものであったのに対し、岩谷の訳詞は、夫婦や恋人の普遍的な愛を描く内容だった。 これについて、音楽ディレクターで『岩谷時子音楽文化振興財団』の理事を務める草野浩二さんは、次のように語る。「原詞には、“空が落ちて来たとしても”なんてフレーズがありますが、これは越路さんの雰囲気には合わない。越路さんは女優だから、その歌詞に生きる女性を表現することはもちろんできるけれど、越路さんには男女の恋だけでなく、もっと広い意味での愛を歌ってほしい、と岩谷先生は思ったのではないでしょうか」 岩谷が手がけた越路版『愛の讃歌』は200万枚以上のヒットを記録。現在も数多くの歌手にカバーされている。人気作詞家へ 訳詞家として評価を得た岩谷は、作詞家としての仕事が増えていく。「1950年代まで、日本の音楽業界は専属制を取っており、歌い手だけではなく、作詞家や作曲家もレコード会社に所属している人しか曲を作ることができませんでした。 それが1960年代以降、後発のレコード会社が専属制を取らず、あらゆる才能に作詞を依頼するようになった。その才能というのが、青島幸男さんや永六輔さん、そして岩谷時子さんだったのです」(田家さん) 作詞家・岩谷の才能を高く評価し、いち早く作詞を依頼したのは大手芸能プロダクション『渡辺プロダクション』社長の渡辺晋さんと妻の美佐さんだった。 岩谷と美佐さんは、東宝時代の同僚だった。美佐さんは、当時力を入れていた所属タレントのザ・ピーナッツの曲の作詞を岩谷に依頼。作曲は、宮川泰さん(享年75)が手がけ、やがて2人は数々のヒット曲を生み出す名コンビとなる。 当時の日本は、海外の曲を和訳して歌うカバーポップス全盛期だった。だが、これからはオリジナルのポップスを歌う時代が来る。そう信じて、宮川さんとともに試行錯誤を繰り返していた岩谷。そんな葛藤の末に生まれたのが、ザ・ピーナッツの代表曲となる『ふりむかないで』だった。 そして、ザ・ピーナッツが国民的人気を得ると同時に、岩谷の知名度も上がり作詞家として売れっ子になっていく。(第3回につづく)【プロフィール】岩谷時子/1916年3月28日、京城(現韓国・ソウル)生まれ。本名・岩谷トキ子。神戸女学院大学部英文科卒。1939年に宝塚歌劇団出版部に入り、越路吹雪と出会い、のちにマネジャーとなる。戦後、東宝文芸部を経てフリーに。作詞家として活動を始める。越路吹雪が歌う『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』などの訳詞、ザ・ピーナッツの『ふりむかないで』、加山雄三の『君といつまでも』、郷ひろみの『男の子女の子』など、手がけた作品は数千に上る。2013年10月25日、97才で没。音楽ディレクター・草野浩二さん(84才)/東京芝浦電気レコード入社とともに、事業部・制作ディレクターとなり、岩谷と『夜明けの唄』などのヒットを世に送り出す。「岩谷時子音楽文化振興財団」の理事に就任し、「岩谷時子メモリアルコンサート?〜Forever〜」の企画に携わる。音楽評論家・田家秀樹さん(75才)/若者雑誌編集長を経て、音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティーとして活躍。2006年4月から毎日新聞にて連載『岩谷時子・愛の名曲物語』を開始し、岩谷を取材。著書に『歌に恋して—評伝・岩谷時子物語』(ランダムハウス講談社)がある。取材・文/廉屋友美乃※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.21 07:00
女性セブン
双子女優といえばこの2人(時事通信フォト)
芸能界を盛り上げ続ける「双子姉妹」の安定した魅力
 広瀬すず・広瀬アリスや、石田ひかり・石田ゆり子など美人姉妹が話題にのぼることが多い今日この頃だが、昭和の芸能界を語るうえで、双子姉妹の存在は欠かせない。ザ・ピーナッツ、こまどり姉妹は皇太子御成婚で沸いた1959年にデビュー。ザ・ピーナッツは『ザ・ヒットパレード』『シャボン玉ホリデー』などの人気番組でレギュラーを務めるなど、テレビが急速に普及していくなかで歌謡界の中心に君臨した。『NHK紅白歌合戦』にはザ・ピーナッツが16年連続、こまどり姉妹が7年連続出場を果たした。「1970年代にはザ・リリーズ、香港出身のリンリン・ランランも人気を博しました。双子デュオは似ている声を生かし、2人にしかないハーモニーを出せる利点がありました」(芸能評論家・宝泉薫氏) リンリン・ランランは1974年、『スター誕生!』のアシスタントに。アメリカ先住民風の衣装を身にまとっていたが、米国人と中国人のハーフである。 平成に入ると双子の人気歌手はほとんど見かけなくなったが、三倉茉奈、佳奈(マナカナ)がNHK朝ドラ『ふたりっ子』で鮮烈なデビューを飾ったことは記憶に新しい。妹・佳奈が「芯のある声が私で、柔らかいふんわりした声が茉奈」と2人の見分け方を話したことがあるが、普通の人では判別困難なほど、よく似ている。 双子は今も芸能界で安定した人気を獲得していると言えるだろう。※週刊ポスト2019年6月21日号
2019.06.16 07:00
週刊ポスト
松竹から吉本に流れが変わった
東宝特撮映画を彩った美人女優たち
『ゴジラ』をはじめ、東宝の特撮映画といえば怪獣とヒロインだ。東宝特撮映画を彩った美人女優たちを振り返ろう。●水野久美/『マタンゴ』(1963年、東宝) 関口麻美役 初期の東宝特撮映画を代表するヒロインであり、その役柄は研究者、X星人、南海の娘など多岐にわたり、妖艶なビジュアルが当時の青少年をノックアウト。中でも出色の出演作は、若者たちが漂流した島で次々と“第三の生物”に侵食される『マタンゴ』だろう。水野が禁断のキノコを口にして「美味しいわ……」とつぶやく艶めかしさは忘れがたい。●浜美枝/『キングコング対ゴジラ』(1962年、東宝) 桜井ふみ子役 抜群のプロポーションを誇り、数々の東宝作品に花を添えた。世界的モンスターであるキングコングを招いた本作では、お約束の「コングに愛され、手の平に包まれる美女」を演じ、国会議事堂の屋上まで拉致される。●ザ・ピーナッツ/『モスラ』(1961年、東宝) 小美人役「モスラ~やっ、モスラ」の歌声は、誰もが耳に残っているだろう。インファント島に住む双子の妖精「小美人」を演じたのは、すでに大人気だった双子デュオのザ・ピーナッツ。歌だけでなく、セリフも驚異のシンクロ率だった。●若林映子/『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年、東宝) サルノ王女役 浜美枝とともにボンドガールに抜擢され、日本以上に海外で高い人気を誇ったアジアンビューティー。特に国籍不明の役でその真価を発揮し、『ローマの休日』をモチーフにした『三大怪獣 地球最大の決戦』のサルノ王女役は語り草。●沢口靖子/『ゴジラ』(1984年、東宝) 奥村尚子役 第1回東宝シンデレラに選ばれ、2本目の映画出演となったのが、9年ぶりに復活した『ゴジラ』。続編『ゴジラVSビオランテ』(1989年)では、事故死した後、遺伝子工学の博士である父により、その細胞がビオランテの一部に。※週刊ポスト2018年2月16・23日号
2018.02.09 16:00
週刊ポスト
大御所タレントの活躍の場は地上波からBSやCSに移行か
大御所タレントの活躍の場は地上波からBSやCSに移行か
 大御所タレントの番組が相次いで終了しているが、2017年は彼らが活躍する舞台が変わっていきそうだ。BS、CSの番組に注目しているのはコラムニストのペリー荻野さんだ。ペリーさんがその理由について解説する。 *    * * 昨年のテレビで目立ったのが、大御所タレントの長寿番組の終了だった。年末、堺正章の『新チューボーですよ!』の最終回でローストチキンを仕上げ、「いただきました、星三つです!」と声を上げた“巨匠”にさびしさを感じた視聴者も多かったに違いない。 この他、小堺一機が約31年司会を務めたフジテレビ系『ごきげんよう』、同じく31年続いた『さんまのまんま』(関西テレビ)が年に二回の特番に変更。一部ではギャラ高騰が番組終了の原因だともいわれるが、まだまだ元気な大御所たちは次にどんな動きをするのか? 私が注目しているのは、BSやCSだ。最近のBSやCSの番組はとても充実している。BS朝日では五木ひろしが『日本の名曲 人生、歌がある』で歌番組の司会を担当。ザ・ピーナッツの名曲集や石原裕次郎特集をはじめ、通常二時間の番組が五時間の生放送になったことも。『NHK紅白歌合戦』もびっくりだ。しかし、どこまでも昭和ムード、演歌系中心なので、八代亜紀、瀬川瑛子ら大物もゆったりとした時間でのびのび仕事をしているように見える。 また、多ジャンルで輝いている大御所は、松平健。時代劇専門チャンネルなどで放送されたオリジナル時代劇『鬼平外伝正月四日の客』は、ギャラクシー賞テレビ部門月間賞を受賞。現在はBS日テレで『にっぽん食の道』に出演中だ。日本各地に出かけて美味しい食材を手に入れ、自ら料理するというこの番組。浜名湖ではうなぎ、上田ではマツタケ、福井ではもちろんズワイガニ! 油揚げで越前ガニの巾着コロッケを作っちゃうって。健さん、絶好調。地元の人たちと食材について語り合い、料理をふるまう際にはわざわざ和服に着替える張り切りぶりもさすがだ。「歌」や「食」とともにBS、CSで目立つのが旅番組。特に気になるのが、親子や兄弟で旅をするパターンだ。先日はBS-TBS『ふらり親子旅』で小林稔侍親子が北海道を旅した。人気の旭山動物園でシロクマがイワシを食べるところを見学した小林稔侍。その後入った店で息子たちとラーメンを食べながら、「あれっぽっちじゃ、シロクマは腹がふくれない」としきりに気にするのだ。なぜ、シロクマの腹具合がそんなに気になるのか…。それまで「小林稔侍一家」にまったく興味がなかった人でも、見ているうちに「俳優小林稔侍」ではなく「お父さん小林稔侍」がじわじわと面白くなってしまうのがミソ。よく見ると、この番組は、伊東四朗父子、野際陽子母娘、橋爪功父娘、笹野高史と四人の息子など、渋い大御所ファミリーが揃うのも特長だ。『新チューボーですよ!』の締めくくりで堺正章は「これから22年続く番組は無理。90歳超えちゃう」と語っていた。大御所たちが今後、「何が何でも長寿番組に」というモードから、「これからは好きなことを仕事に」というモードになったとしたら、趣味性の高いBSやCSにどんどん進出する可能性は高い。2017年、BSやCSが大御所タレントの激戦区になる日はもう来ているのかも。
2017.01.04 16:00
NEWSポストセブン
『のど自慢』でも昭和歌謡を歌う中高生の姿が目立った(公式HPより)
「のど自慢」でも顕著 なぜ中高生に昭和歌謡が人気なのか
『NHKのど自慢』で、昭和歌謡を歌う中学生や高校生が増えている。今年の放送では、ネット上で「中学生や高校生がなんでこんな歌を知っているのか?」と話題になることがよくあった。例えば、2016年2月、福岡県飯塚市での放送では、高校2年の男子が43年前の吉田拓郎のヒット曲『落陽』(1973年)を熱唱。さらに同じ日、高校受験を控えた女子中学生2人組が選曲したのは、49年前のザ・ピーナッツによる名曲『恋のフーガ』(1967年)だった。 80年代のアイドルソングを歌う中高生も注目を集めた。同年5月1日、富山県上市(かみいち)町の放送では、最近近藤真彦にハマっているという男子中学生が、制服姿で金と銀のハチマキを頭に巻き、『ギンギラギンにさりげなく』を絶叫。  2014年5月4日、香川県三木町からの生放送。中森明菜の『少女A』を高2の女の子が歌うと、ゲストで歌手の岩崎宏美が「高校生で中森明菜さんをお好きなんですか?」と驚いていた。 そんな中高生を始めとする若い世代は、どのようなキッカケで、生まれる前の「昭和歌謡」を知るのか、背景をさまざまな角度から探ってみる。◇その家ごとに受け継がれる名曲 まずは何といっても親や家族の影響が大きいだろう。10月30日の同番組は石川県野々市(ののいち)市の放送だったが、高校2年の女子生徒が、松田聖子の名曲『SWEET MEMORIES 』で見事合格。鐘が鳴った後、この曲について、「母親がお弁当を作るときに歌っている」ことを明かしていた。 2015年6月7日、兵庫県朝来(あさご)市で行われた公開放送。若い男性が、先と同じ吉田拓郎の『落陽』で合格。父親から、幼少時代から聴かされてきたので、その父を喜ばせようと歌ったという。そしてさらには、今度生まれてくる我が子にも歌い継ぎたいと言っていた。つまり曲というのは、一家代々歌い継がれる、見えない「家宝」なのだ。◇若者にとっては懐メロも「新譜」 YouTubeも影響 そんな家庭環境以外に若者が昭和歌謡に惹かれるキッカケは何なのか。東京・新宿に構える「ディスクユニオン昭和歌謡館」の店長・杉本博士さんに聞いてみた。「やはりYouTubeを始めとする動画配信も大きいですね。時間軸が良い意味で崩壊している」 確かに今、ネットを探れば、戦前の流行歌の音源も聴くことができる。 「若い人にとっては昔の歌は懐メロではなく、たった今新しく知った『新譜』と同じなんです」(同・杉本店長) ネット上に名曲が存在する限り、それを耳にする機会は自ずと増える。新たな昭和歌謡ファンは増えていくことだろう。◇曲自体はネットで聴いて、ノベルティ欲しさにレコードを購入 そもそもこの「昭和歌謡館」は、2013年11月にオープンしたまさに「歌謡曲」に特化した専門店。1万2千枚あるというレコードのほか、歌手やアイドルのプロマイドも販売しており、開店以来、客数は毎年前年比20%増で推移。客層としては、「年配の方も来られますが、中高生も多いですね。親と一緒に来たり、女の子たちだけのグループで来ることもあります」(同) そうした中高生の中には、フィンガー5のプロマイドを、地方からの修学旅行のついでに立ち寄って買いに来たという子や、少年隊のレコードの中に特典として入っているステッカーが可愛いからとレコードを買って行った女の子もいたという。ただその子は、家にはレコードプレーヤーはなく、曲自体はすでにネットの動画で聴いていたという。こうして新しい楽しみ方も広がっているようだ。 ◇今のヒットソングに「物足りなさ」も さてネット上の「Q&Aサイト」には、懐メロ好きの若者が、自分と同じような人と思いを共有したいと投稿しているのをよく見かける。例えば実際に、今年(2016年)18歳になるという女性が「若いのに80、90年代の歌が好きなのは変ですか?」という質問を掲載。そして、同世代の人が好むようなアイドルグループの歌にはついていけないと吐露している。  こうした状況について杉本店長も「若い方々は、今のJ-POPも変わらず好きでありながらも、どこか物足りなく感じてしまう部分もあるのでは」と語る。  もちろん今の曲にも心に響くものは数多くあり、20年、30年、100年後と歌い継がれていくことだろう。いずれにしても名曲は時をこえ、時を問わないことは間違いない。(放送作家・内堀たかふみ)
2016.12.31 07:00
NEWSポストセブン
ガンダムファンにはおなじみ 歌手・森口博子の実力
ガンダムファンにはおなじみ 歌手・森口博子の実力
 放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、バラエティーだけではない、歌手・森口博子の実力を考察。 * * * ディナーショーの人気度や料金ランキングが取りざたされる時期がやってきた。今年の目玉はなんといっても中森明菜で、「声も全盛期に戻った」とも報じられている。つまり体調がいいので“ドタキャン”の心配もなくなったということだ。 彼女は小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美ら、大手芸能プロダクションやレコード会社が「聖子に続け!」とばかりにイチオシを揃えた「花の82年デビュー組」の一人。前年10月にデビューしていた松本伊代も、この中に含まれている。 新人賞は熾烈な争いで、デビューの年、中森明菜だけが無冠に終わっている。その後の歌手人生において、本当に色々なことがあった彼女だが、松田聖子と共に、いまも歌い続けている数少ない“アイドル”の一人だ。 その「82年組」に「追いつき、追い越せ」でデビューした女性アイドルは、なぜか「バラドル」として活躍する者が多い。「おニャン子クラブ」の台頭で、音楽ランキングの主役は彼女たちになり、その一方で、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)での素のトークがファンや視聴者にウケるように…。 果たして、アイドルとしてデビューしたのに曲があまり売れなかったり、歌える場が少なかったりした松本明子、井森美幸、山瀬まみ、松居直美、島崎和歌子、そして森口博子らがバラドルとして活躍するようになったのだ。彼女たちの多くはなぜかモノマネが上手いという特徴もある。 なかでも森口は、モノマネも器用にこなし、バラエティー番組の中での“なりきり”ぶりに人気が集まった。その証拠に、彼女はあのSMAPと共に人気番組『夢がMORIMORI』(同)に出演していた。このタイトルは、森脇健児、森口博子、そしてSMAPの森且行の頭文字からなり、『SMAP×SMAP』がスタートする前まで、SMAPが「バラエティーのいろは」を叩き込まれた番組と言える。 つまり森口博子はSMAPにとって、「バラエティーの姉さん」的存在だった。バラドルの女性たちがそうであったように、SMAPも歌番組の激減により、バラエティーに活路を見出さざるを得なかったアイドル。なんとか爪跡を遺そうと必死に頑張っていた彼らに、森口はバラエティーのスピードや緩急、恥ずかしがらずにやり抜くことなどを身をもって教えていたのだと思われる。「でも、彼らがアラフォーになってから御一緒したら、『森口さん、大丈夫ですか?』『もうちょっとですよ』などと、私の身体を気遣ってくれたり、労わってくれたりする言葉をかけてくれて…。月日を感じました」と森口は言う。そして「彼らは大丈夫」「尊敬している」とも。もっとも近くでSMAPを見てきた森口だからこその言葉だと思った。 さて、件のバラドルたちの中で、唯一、真摯に歌手活動を続けているのが森口博子だ。2000年代に入っても、8枚のシングルと3枚のアルバムを出しているし、今年9月に発売された『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』でも、森口は『大阪の女』で参加している。また、『アニー』をはじめとするミュージカル出演や、ジャズクラブでのライブも行っていて、今年2月、老舗のジャズクラブ『銀座Swing』に出演した際も、大人の佇まいと歌声で多くの観客を魅了した。 その森口が11月16日、新曲をリリースした。11月19日から全国15館で限定2週間、イベント上映される『機動戦士ガンダム ORIGIN IV』の主題歌『宇宙(そら)の彼方で』を16日にリリース。そのミュージックビデオが『GYAO!映像デイリーランキング』で1位を獲得したのである。 森口とガンダムの関係は深く、長い。1985年、森口のデビュー曲が『機動戦士ガンダム』の主題歌、『水の星へ愛をこめて』だった。「その後も、20代、30代、40代と節目節目でガンダムを歌わせていただいているんです」と言うが、91年に大ヒットし、『NHK紅白歌合戦』に出場するきっかけにもなった『ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~』までは泣かず飛ばずで、「事務所からリストラ宣告をされた」こともあったそうだ。 それから数年後、赤文字系雑誌の美容ページで、森口の“人生折れ線グラフ”と髪型の変遷を見た記憶がある。「グラフが下降しっぱなしだった頃は、ずっと三つ編みにして、帽子をかぶって、なんとか多くのみなさんに顔を覚えていただこうと必死だった」と森口は振り返る。 果たして、「またガンダムを歌いたいなぁ」と思っていた今年、ガンダムの製作会社で主題歌を誰に歌わせるかという会議が行われ、その内の一人が森口の名前を出したところ、「満場一致で決まったと聞いて涙が出ました」と森口は目を潤ませた。 それは森口のファンの総意でもあったそうで、「ファンのみなさんの多くがTwitterやブログなどで願ってくださっていたことが叶ったんです」と、またさらに目を潤ませた。 歌手活動の一方で、タレントとしてバラエティー番組に出演し、CMでは『命の母A』のキャラクターとして“更年期トーク”を繰り広げている森口博子は独身を貫き、今年48歳になった。 歌番組は相変わらず少ないし、CDも売れなくなって久しいが、地道に歌手活動を続け、新曲をリリースし、MVが話題になり、映像デイリーチャートで1位に…。これは森口にとって、大きな勲章になったことだろう。 間近で会うと、相変わらずスリムで美肌でチャーミングで「奇跡の48歳」と言っていい森口が伸びのある声で歌い上げる『宇宙の彼方で』は、ガンダムのファンや製作者を含めた人々、森口ファン、そして森口博子本人にとって、また忘れられない一曲になったに違いない。
2016.11.19 07:00
NEWSポストセブン
著名人不倫続出も「元は不倫」で驚かれるいい夫婦も
著名人不倫続出も「元は不倫」で驚かれるいい夫婦も
 ベッキーから桂文枝師匠まで、今年の芸能界はまさに不倫スキャンダルの嵐だが、芸能人にとって不倫は、発覚した「その後」こそが大事だ。テレビの情報番組記者A氏(30代)、スポーツ紙デスクB氏(40代)、週刊誌ベテラン女性記者C氏(50代)の3名を集め、「不倫カップルのその後」をテーマに緊急座談会を実施した。A:いまとなっては「この2人も元は不倫だったの」と驚かれる夫婦もいます。C:1982年に不倫が発覚したとき、あっさり認めたのがコピーライターの糸井重里(67)と女優の樋口可南子(57)だった。樋口は「糸井さんは私の大事な人」と報道陣を前に堂々と発言し、糸井も「女房も理解しています」と言っていました。「えっ、2人とも不倫を認めちゃうの」って取材していた当時は驚きましたね。その後11年間の交際を経て1993年に2人は結婚しました。A:ソフトバンクのCMのお母さんが略奪婚なんて若い世代には想像つきません。C:俳優の沢田研二(67)と女優の田中裕子(60)も不倫婚だったわ。ザ・ピーナッツの伊藤エミ(享年71)と結婚していた沢田は田中への思いがつのり、1986年に離婚届を置いて家を出て、田中が映画『二十四の瞳』のロケをしていた小豆島を訪れました。その後、沢田の離婚が成立し、2人は1989年に出雲大社で挙式を行なった。B:ああ、覚えていますよ。一般人に交じった地味目の挙式が話題になりました。現在もラブラブで夫婦仲はいいようです。A:近年でもミスチルの桜井和寿(45)やGLAYのTERU(44)みたいに無名時代から支えた糟糠の妻と離婚して、タレントと再婚するケースはよくあります。そう考えるとベッキー(32)とゲス(川谷絵音・27)は発覚するタイミングが悪すぎたのかも。途中で周囲にバレちゃったのが痛いところです。「センテンススプリング」には恨み骨髄でしょうね。B:いまやこれらの結婚が不倫から始まったのを知らない若い芸能記者も多いね。C:不倫は一時的に叩かれるけど、じっと辛抱して真っ当に生きれば、やがて認められる日が来るのかも。ベッキーも矢口真里(33)みたいに開き直って交際を続けてみてはいかがでしょう。B:桂文枝(72)の不倫を武田鉄矢が称したように、不倫は一点の曇りもない「立派な間違った恋」だからこそ、発覚した後の振る舞いで人生が幸せにも不幸せにもなる。芸能人の不倫に学ぶ点は多いよ。A:仰るとおりです。芸能人の皆さん、今後も不倫ニュースを待っています!※週刊ポスト2016年3月18日号
2016.03.11 07:00
週刊ポスト
ザ・ピーナッツ伊藤ユミ 姉と沢田研二の子と暮らした家売却
ザ・ピーナッツ伊藤ユミ 姉と沢田研二の子と暮らした家売却
 1961年。横浜マリンタワーが開業し、大阪環状線が全線開通、NHK連続テレビ小説が初めて放送されたこの年、歌謡界の中心にいたのはザ・ピーナッツだった。 姉の伊藤エミさん(享年71)と妹の伊藤ユミさん(73才)。彗星のごとく現れた双子のデュオは、瞬く間にトップの座へと駆け上がり、この年、東京・世田谷の100坪をゆうに超える広大な土地に地下1階、地上2階建ての豪邸を建てる。 そこで両親、長姉夫妻、弟、付き人、8人で始まった生活は喜びや悲しみとともに姿を変えた。結婚、出産、離婚、そして両親の死。いつだって姉妹は一緒に分かち合い、乗り越えた。ふたりで建てた家には、そんな思い出がいっぱい詰まっていた。 2012年6月15日、エミさんががんで亡くなってからまもなく2年。その豪邸を訪れると、建て物はきれいさっぱりなくなり、更地に変わっていた。「エミさんが亡くなってからは、ユミさんはエミさんの息子さんで甥にあたるAさん(35才)とふたりで暮らしていたんです。でも、去年の春頃だったかしら? ユミさんとAさんは別々に暮らすことにしたらしく、その後、それぞれ引っ越されてね。土地も全部売って、去年の秋頃にはあの通り、お家も取り壊されてしまったんですよ」(近所の住民) 生涯孤独を貫くユミさんは、エミさんと沢田研二(65才)との間に生まれたAさんのことを実の子のようにかわいがった。 そしてそれは姉が亡くなってからも変わるはずのないことだった。それなのになぜ今回、彼女はこのような決断をしたのだろうか。「自宅は改修工事をしたばかりで、ユミさんはAさんとずっと一緒に暮らしていくつもりでした。でもAさんは、お母さんが病に倒れてから、“自分の力で生きていきたい”と思うようになったんです。親離れ、というか…今は自立して音楽関係の仕事もしていますからね。 ユミさんはエミさんと離れることができず、結婚して家庭を築くという“普通の幸せ”を手に入れられなかったという思いが少なからずあります。だからこそ、彼の思いも痛いほどによくわかるんです。とはいえ、彼女はもう73才。ほとんど生まれて初めてのひとり暮らしですから、彼の決意を苦渋の思いで受け入れたんだと思います。自宅を残しておくことも考えたそうですが、維持費もかかるので、売ることにしたそうです」(ユミさんの知人) 現在、ユミさんとAさんは車で10分ほど離れたマンションでそれぞれ暮らしている。「寂しすぎますね」 ユミさんは近所の人にそうつぶやくこともあるのだという。「ユミさんはAさんのことが気がかりで、よく彼の自宅へ行って洗濯物をクリーニング店に出したり、掃除をしたりしているんだそうです。そうやって身の回りの世話をすることで、彼の顔を見る機会を作ろうというのが本音なんでしょうけど…」(前出・ユミさんの知人)※女性セブン2014年6月12日号
2014.05.31 07:01
女性セブン
【書評】小説家が書く「日記」は本当にフィクションなのか?
【書評】小説家が書く「日記」は本当にフィクションなのか?
【書評】『東京日記4 不良になりました。』川上弘美著/門馬則雄絵/平凡社/1300円+税【評者】嵐山光三郎(作家) 小説家が書く『日記』は当然ながらフィクションであるけれども、まるっきり嘘ばかり書いても読者は納得せず、引っ越しをしたことも文学賞の選考会も大阪の黒門市場でうどん屋に入ったことも事実だろう。だって日記なんだからね。引っ越してからはじめてぜんそくになったことも本当だろう。 二〇一〇年五月から二〇一三年の身辺雑記(ぼやぼやと生きる日々の記録である東京日記=あとがき)は、入院と手術があり、嘘日記であるはずがない。部屋を片づけたものの、ふたたびじわじわと散らかってしまったことを「片づけ界」ではリバウンドといい、「リバウンド川上」と名乗ろうかと吟味して、加齢臭と古本の匂いは同じ成分であると聞いて、びっくりする。私もそれを知ってびっくりした。 十二月の予定が空白、空白、空白、でいよいよ明日は大晦日、という記述もほぼ事実であろうと思うし、「ただでさえ少ない友だちをこれ以上減らさないこと」を新年の目標とするシーンは三回読みなおしてしまった。 川上弘美の『東京日記3 ナマズの幸運。』にはフィクションがあって、そこがグラグラと面白いのであるが、この『東京日記4 不良になりました。』もタイトルにつられて読み出すことになる。川上さんが「不良になりました」といっているのだから、川上ウォッチャーとしてはその真相をたしかめたくなる。川上さんのこどもが小さな声で「かあさん、不良になったんだ」とつぶやいたという。 川上さんは嘘つきではありません。そしてたくさんの短い夢をみる。おぼれている夢。落ちてゆく夢。踏まれている夢。追われている夢。沈んでゆく夢。どの夢のバックにも、ザ・ピーナッツの「ウナ・セラ・ディ東京」が高らかに流れている。ただし、これは八月某日限定の夢である。 小説家の日記は、ふわふわとする現実世界を浮遊する幻覚症で、妄想がビールみたいに泡をたてていますから、飲んだ人は「居酒屋 川上」のカウンターで上等な時間を過ごすことができるのです。※週刊ポスト2014年5月23日号
2014.05.14 16:00
週刊ポスト
浅利慶太氏が語る岩谷時子さん「すぐれた才能持った女神」
浅利慶太氏が語る岩谷時子さん「すぐれた才能持った女神」
「初めて会ったときも、終始穏やかな笑顔を浮かべて黙っていて、大事なときだけひと言発する。非常にナイーブな女性という印象でした」 10月25日、作詞家の岩谷時子さん(享年97)が肺炎のために亡くなった。その岩谷さんと、長く盟友として、さまざまな舞台や名曲を生み出していくことになる浅利慶太劇団四季代表(80才)。ふたりが会ったのは1960年代半ばのことだった。「お時さん(岩谷さん)のほうから“お会いしたい”と言ってこられました」(浅利氏・以下「」内同) 岩谷さんは越路吹雪さん(享年56)と一緒で、越路さんが「浅利さんに舞台の演出をお願いしたい」と切り出した。話すのはもっぱら越路さんだったが、浅利氏に演出をゆだねたいというのは、先見の明ある名マネジャー岩谷さんの強い意志だった。 そのとき、浅利氏は、「わかりました」と日生劇場で越路さんの舞台を手がけることを約束。1966年、浅利氏の演出で「越路吹雪リサイタル」が開かれる。このとき、越路さんの歌うシャンソンの訳詞を、浅利氏は岩谷さんに依頼する。「訳詞はすぐにできあがってきましたが、見て驚きました。日本語なのに、フランス語の原文の香りが一切消えていない。しかも日本語としても極めて美しい。まいりましたね」 こうして、越路さんの代表曲であり、現在も歌い継がれる『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』『サン・トワ・マミー』などのヒットが生まれた。岩谷さんとはいつしか、「お時さん」「慶太さん」と呼び合う、深い信頼感が生まれた。 岩谷さんは作詞家として実にたくさんの作品を手掛けた。ザ・ピーナッツの『ウナ・セラ・ディ東京』『恋のバカンス』、加山雄三の『お嫁においで』『君といつまでも』、郷ひろみのデビュー曲『男の子女の子』から『裸のビーナス』『花とみつばち』など、枚挙にいとまがない。 もちろん劇団四季の舞台作品でも、多くの詞を手掛けている。『ジーザス・クライスト=スーパースター』、『ウェストサイド物語』、『エビータ』などの海外作品から、現在も全国を巡演中の『はだかの王様』などのファミリーミュージカルやオリジナル作品、はては台詞劇の戯曲翻訳まで、活躍は幅広い。「訳することも難しい文学的な作品から、大衆的な歌謡曲まで、その全てを格調ある日本語で紡いだ。すぐれた才能を持った“女神”でしたね。 もしも郷ひろみが、他の作詞家の歌でデビューしていたら、今どうなっていただろう。ユーモラスだけどポエティック、お時さんの詞の力は大きかったですよ」※女性セブン2013年11月21日号
2013.11.12 07:00
女性セブン
国会包囲デモの2012年 安保反対の1960年と多くの共通点アリ
国会包囲デモの2012年 安保反対の1960年と多くの共通点アリ
 7月29日、20万人ともいわれる人々が国会を取り囲み、原発再稼働反対のキャンドルを灯した光景は、1960年に日米安保条約に反対する数十万人の学生デモ隊が国会に押し寄せ、時の岸信介内閣を退陣に追い込んだ歴史を彷彿とさせた。 実は、安保闘争と原発再稼働反対デモ以外にも、様々な点で1960年と2012年は似ている。 1960年には、ローマ五輪が開かれた。日本勢は男子体操で団体総合を含む4つの金メダルを獲得。体操王国ニッポンのスタートとなった。ただし、競泳やレスリングといった、前大会まではお家芸だった種目で金を逃し、全体としてはやや低調だった。1960年当時は4年後に東京五輪を控えていたが、2020年に2度目の東京五輪は実現するか。 電波塔として東京タワーが完成した2年後の1960年、NHKなど6局がカラーテレビの放送を開始した。一方、今年はスカイツリーが完成し、デジタル放送に移行している。 日本初の商用原子力発電所である東海発電所の建設工事着工もこの年。反対運動は一部で起こったが、その後、福島など各地で原発が建設されていった。 芸能では、元祖アイドルユニットといわれるザ・ピーナッツが初期の代表曲『悲しき16才』を発表し、ブレイクした。今年メンバーの伊藤エミさん(享年71)が亡くなった際には、AKB48などアイドルブームの「原点」と評された。※週刊ポスト2012年8月17・24日号
2012.08.11 07:00
週刊ポスト
沢田研二の故・伊藤エミさんへの離婚慰謝料は18億円だった
沢田研二の故・伊藤エミさんへの離婚慰謝料は18億円だった
 6月15日、沢田研二(64才)の元妻で、ザ・ピーナッツとして活躍していた伊藤エミ(本名・沢田日出代)さんが、末期がんのために71才で亡くなった。 今年3月、腰の痛みを訴えていたエミさんが病院に行ったところ、すでに末期のがんだったという。それから3か月後、彼女は帰らぬ人となった。葬儀は家族やわずかな親類のみの密葬で、しめやかに営まれた。 その死は、周囲にほとんど知らされなかった。それは芸能界引退後、一般人として静かに過ごしてきたエミさんの小さな願いだったという。 エミさんは1959年、一卵性双生児の妹・ユミさん(本名・伊藤月子、71才)とザ・ピーナッツとしてデビュー。息の合ったハーモニーで『恋のフーガ』『恋のバカンス』など数々のヒット曲を飛ばし、国民的スターとなった。だが、人気絶頂の1975年4月、突然の引退。エミさんが、かねてから交際していた7才年下の沢田との結婚がその理由だった。 1979年3月には、長男(33才)が誕生したが、その幸せな家庭生活は長くは続かなかった。1983年6月、沢田と、前年に公開された映画『男はつらいよ』で共演した田中裕子(57才)との不倫が発覚する。 沢田は田中のマンションに足繁く通うようになり、やがて家に帰らない日々が続く。そんななか、田中が、エミさんに“宣戦布告”するかのように「必ず彼と一緒になる」と宣言。一方の沢田も不倫を認めるような発言を公の場で繰り返した。 結局、ふたりは1987年1月に離婚する。当時、夫婦と親交の深かった故・ハナ肇さん(享年63)は、女性セブンの取材に対して、エミさんの気持ちをこう代弁している。「ヒデ(エミさん、本名・日出代)はジュリーを愛するがゆえに、離婚届に判を押したと思う。愛する人の望むようにしてやるのが本当の愛情なんだというきれいな気持ちで決心したんだと思う」 長男の親権はエミさんが持ち、慰謝料は自宅やテニスコート、伊豆の別荘などの資産を含めて当時、日本芸能界史上最高額の18億円にのぼったといわれている。※女性セブン2012年7月19日号
2012.07.05 16:00
女性セブン
ザ・ピーナッツのエミさんと中尾ミエ “最後の会話”の中身
ザ・ピーナッツのエミさんと中尾ミエ “最後の会話”の中身
 この40年間、一切表舞台に出ることなく、都内の閑静な住宅街の一軒家でひっそりと暮らしていた。 ザ・ピーナッツは名古屋のクラブで歌っているところを渡辺プロダクションの渡辺晋社長(当時)に見出され、高校2年生で上京。昭和34年、双子の歌手としてデビュー、その澄んだ歌声は、昭和歌謡の華だった。『恋のバカンス』(昭和38年)、『恋のフーガ』(昭和42年)など立て続けにヒット。『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)では、ハナ肇扮する病床の父の面倒を見る娘役。「おとっつぁん、おかゆができたわよ」のコントで一世風靡。国民的な人気を得た。 2人は人気絶頂時の34歳で芸能界を引退。姉・伊藤エミは、その2か月後にザ・タイガースのボーカル・沢田研二と電撃結婚(その後、離婚)。1児をもうけ、母親業に専念していた。「妹のユミさんは、結婚せず、ずっと独身と聞いています。ご一緒に暮らしていたようで、昔は、姉妹がそろって近くの公園でテニスをしていましたよ」(芸能関係者) 親しかったクレージーキャッツのメンバーも次々と他界。エミさんは、今年春、腰を病い、病院で精密検査を受けたところ、がんがみつかり、6月15日にひっそりと息を引き取った。「同じ事務所だった中尾ミエさんは、2か月前に会ったとき“転んで腰が痛いの”といっていたのが、最後だったといいます」(前出・芸能関係者) 売り上げたレコードは合計1750万枚。3年前には出演したラジオ番組の歌唱音源が見つかり40年の歳月を経てCD化。いまも世代を超えカラオケなどで『恋のバカンス』は歌い継がれている。※週刊ポスト2012年7月13日号
2012.07.02 16:00
週刊ポスト
テキーラ40杯注文 米倉涼子と飯島直子がベロベロでAKB熱唱
テキーラ40杯注文 米倉涼子と飯島直子がベロベロでAKB熱唱
米倉涼子(35)が元ヤンキーの“マルサの女”を演じた『ナサケの女~国税局査察官~』(テレビ朝日系)。その最終回(12月9日)が放送される数日前、ひと足早く打ち上げパーティーが行われていた。忘年会シーズンたけなわの東京・六本木。一次会会場となった店から出てきた米倉の姿はひと際目を引いた。ゴージャスなファーコートを颯爽と着こなし、泉谷しげる(62)と腕を組んで超ノリノリ! どうやら二次会会場へ向かうようだ。二次会に出席したドラマ関係者は、このときの模様をこう話す。「二次会はカラオケ大会だったんですけど、みんなありえないくらいに飲んでました。そのうち“テキーラ40杯”っていう注文の声が聞こえて、米倉さんと飯島直子さんが何度も何度もカウンターにおかわりしに行って…(笑い)。ふたりともベロベロに酔ってたみたいですよ。米倉さんと飯島さんは最後にザ・ピーナッツの『恋のバカンス』をデュエットして盛り上げてましたね。他にもみんなでAKB48の『ヘビーローテーション』とか歌っていて、米倉さんも“アイラビュー”なんて叫んでました(笑い)」※女性セブン2010年12月23日号
2010.12.09 10:00
女性セブン

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