2007年11月、彼女は日本中のメディアを騒然とさせる。
<桂銀淑、覚せい剤逮捕>
都内の自宅マンションに覚せい剤を隠し持っていたとして逮捕されたのだ。
「事務所トラブルでうつ病になってしまったあの時期に、芸能界に出入りする知人に“元気が出るよ”と言って渡されたことがきっかけでした…」
懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を受けた彼女は、ビザの期限切れも重なり、2008年8月、韓国に帰国することになる。
それからは年老いた母と2人、ソウル市内の2LDKのマンションで質素な生活を送ってきたという。
「母は4年ほど前から認知症の症状が出てきて、時々記憶が途切れてしまうんです。この数年、私は母に付きっきりで、食事やお風呂、排泄の世話まで、ひとりで介護しながら生きてきました。
それまでずっと仕事で忙しく、母には寂しい思いをさせてきましたから、韓国に戻ってからは、母と一緒の時間を大切にしたかったんです」
だが、そんな介護生活のなかで、彼女はひとつのことに気づく。
母の記憶に残っている自分は、世話をしてくれる“娘”ではなく、“歌手・桂銀淑”だったのだ。
「歌手として活躍していた頃の印象が強かったんでしょうね。時々、母は歌っていた頃の私を思い出すのか、“新しい歌はないのかい?”とか“早くテレビに出て歌っておくれ”なんて言うんです…。
母の人生の最後に、私が歌手としてしっかり頑張る姿を見せたい、心からそう思うようになりました」
そうして母に背中を押されるように、歌手復帰を決意。昨年夏には、桂の知人が、ちあきなおみ(66才)の『喝采』や、細川たかし(63才)の『北酒場』などのヒット曲を手がけた作曲家の中村泰士氏に、桂のための楽曲の制作を依頼する。彼は「あのハスキーボイスが健在であれば」という条件付きで、ソウルを訪れた。
中村氏はスタジオで、当時のままの声で歌う彼女を目の当たりにし、作詞作曲を快諾。昨秋に計3曲を彼女に提供した。
※女性セブン2014年3月6日号