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【書評】歌舞伎演出家としての武智鉄二を師と仰ぐ著者の自伝

【書評】『師父の遺言』松井今朝子/NHK出版/1600円+税

【評者】川本三郎(評論家)

 歌舞伎を語るのは難しい。教養の蓄積がなければならない。著者は子供の頃から歌舞伎を見る環境に恵まれていた。実家は祇園の日本料理店。名店で歌舞伎役者がよく訪れた。何よりも中村扇雀(現・坂田藤十郎)と姻戚関係にあった。

 子供の頃から自然に歌舞伎や文楽を見るようになる。中学生の時、舞台を見たあと楽屋に中村勘三郎(十七代)を訪ね、感想を聞かれ、「今日はよう泣けました。一昨日も観たんですけど、その時はぜんぜん泣けませんでした」と正直に答えた。勘三郎は「たしかに一昨日は、自分でも気が乗らなかったからねえ」と中学生の舞台を見る目に感心したという。

 早稲田大学を卒業して松竹に入社。歌舞伎の興行に深く関わるようになる。その後、会社を離れ、生涯の師となる武智鉄二の下で働くようになる。この師弟関係は少し意外。武智鉄二は歌舞伎界の異端児であるだけではなく、つねに挑発的な活動や言動で世を驚かせ続けてきた奇才だから。

 父親は土木建築で財を成した。豊かだったから既成の権威に逆らい自由奔放に生きた。ストリッパーに能の面を付けて演じさせた。当時としてはヌードシーンの多い映画「白日夢」を作った。自民党から参議院選に出たこともある。

 話題の多い奇人だった。しかし著者にとって武智鉄二はあくまでも歌舞伎の演出家だった。中村扇雀と親しく、その舞台を多く手がけたことで著者は敬意を持つ。日本の芸能の基本には稲作文化があるという理論に魅了される。師の発するただならぬオーラにも。

 武智鉄二は世を騒がせるのが好きな道化というイメージが強かったため、語りにくい存在だった。それだけに愛弟子による本書は貴重。歌舞伎の内側を熟知している著者だけに面白く読ませる。

 多感な青春期に、この人という師に会うことがいかに大事で、幸福なことか。権威と闘い続けた師に倣い自分もまた闘いたいと最後に決意を表明する。拍手。

※週刊ポスト2014年6月6日号

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