しかし、今回はっきりしたことは、オールドメディアがいくら自殺報道を抑制しても、スマホをはじめとした端末がここまで普及した社会にあっては、自殺報道は止まらないという現実だ。
中年男性の様子を撮り、それをSNSなどで発信した人々の気持ちはそれぞれだったと思う。「怖くなって」思わず誰かと情報を共有せずにはいられなくなった人もいたようだし、「これはニュースだ」と悪気なく流した人もいたはずだ。
ただ、中には自分の個人メディアを盛り上げる「格好のネタだ」と狙ってUPした人もいただろう。次々と作成された「まとめサイト」には、「PV(=小遣い)の稼ぎ時だ」というモチベーションが働いていたかもしれない。
そのように動機や意図が個々別々で、好き勝手に発信される自殺報道と大拡散は、いくらWHOの注意に沿って啓蒙活動を行っても、抑え込むことは難しい。個人のモラルに訴えても、どうしたって限界がある。私も含めた人々から下衆な好奇心が消えない限り……。
誤解を恐れず書けば、今回の出来事は、政治的な演説の後にガソリンをかぶって、という自殺(未遂)だったから、まだ良かった。そこまで今の政治に対する怒りを抑えきれない人は稀なので。また、あの写真や動画からは、抗議のための焼身というより、「自暴自棄」感のほうが強く伝わった。中年男性の行動に共鳴した人はほとんどいなかったと思われる。
だが、これが、例えば若い女性が同じ歩道橋の鉄枠上にふらふらと立って、そこからアスファルトの道路に飛び降りた、という出来事だったらどうか。亡くなってしまった女性が使っていたSNSの書き込みが発見され、それが「わかるわかる」という内容で大拡散されたらどうなるか。
天が落ちてくるのではないかと無用な心配をする杞憂だったらいい。しかし、この心配はいつ現実化してもおかしくない新しい自殺報道問題であり、ネットを使う我々は全員問題の関係者になりうる。そう心得ておきたい。