萩太郎自身、14歳で父を亡くし、後ろ盾を失くした役者の苦労を肌身に知る。だから後見役を引き受けたのだが、役者仲間によれば秋司自身は賢く筋もいいが、問題は母親〈由香利〉だ。そして秋司に名跡を継がせたい一心で周りが見えなくなる彼女に、後に萩太郎も振り回されることになる。
一方俊介は利発で明るく、興味の対象にはのめり込むが、稽古には身が入らず、初舞台もまだ。既に難役もこなす秋司の才気や〈切実さ〉すら宿す舞を見るにつけ、父の心は揺れた。
「一見秋司は天才、俊介は晩成型という気もしますが、何より〈役者は舞台に立って、はじめて役者になる〉という部分が大きいと思う。私はそれを観て想像するだけですが、たとえ恥をかこうと役者は舞台に立ち続け、作家はアマゾンで酷評されようが書き続けるしかない(笑い)。その自転車乗りや営業マンにも通じる普遍性が、歌舞伎がこれほど長く愛される理由ではないかと。
つまり彼らは才能というより、舞台に立つ者の気概や覚悟を受け継いできたんだと思う。〈才能は渇望だ〉〈努力せずにはいられない衝動も含めて、才能と言う〉という萩太郎の言葉は、私自身の実感でもあります」
やがて俊介の初舞台にと『恋女房染分手綱』十段目、通称「重の井子別れ」での共演を勧められた萩太郎は、まだ俊介に大役は無理だと考え、秋司が三吉、俊介は調姫の配役で準備を進めた。萩太郎扮する実母重の井に冷たく突き放される三吉役は台詞も多く、一方調姫は〈いやじゃ姫〉とも呼ばれ、輿入れの道中、「いやじゃ、いやじゃ」とごねるだけ。が、いざ稽古に入ると俊介は他の台詞も丸々覚えるほど耳がよく、安堵したのも束の間、事件は起きるのだ。
初日前日、萩太郎は秋司の発熱に気づき、由香利に質すと実はおたふく風邪だという。早速劇場と秋司の休演を決め、代役に立てた俊介も夜通し稽古に耐えた。幸い三吉役は好評で、由香利は〈そうやって、役を自分の息子に回すんですね〉と言い募ったが、秋司は事情を話すと理解してくれた。
が、退院した彼と俊介に胡蝶の舞の稽古をつけようとすると、秋司はしきりに右耳を気にして言う。〈虫が……うるさくて〉――。以降の展開は読者の想像を超えること必至。相次ぐどんでん返しはもちろん、その渦中に描かれる〈板の上に立つ者だけが知っている感覚〉や、俊介や秋司ら三者三様の選択が胸を打つ。