たとえば三重の監督に就任して、中村監督はまず取り組んだのは守備の強化だった。三重のウリはエース今井と強力打線だ。「まず守備から」という中村の言葉に怪訝な表情を浮かべる記者もいたが、私はピンときた。前回の甲子園、日章学園は22安打も放ちながら、初戦で敗れた。決勝点はエラーで与えた点だった。
「中村さんの『まず守備から』といのうは、あの試合が原点にあるんじゃないですか」
「まったくその通りですわ。あの試合は私の野球観を根底から変えました」
さらに大学野球での監督経験からもあった。
「高校から大学に行って金属バットから木製に変わると、打率が2割下がるんです。そこで守備がガタガタだとなかなか使ってもらえない。高校・大学の7年間使える技術として守備から教えたいんです」
いま高校野球の世界には世代交代の波が押し寄せている。90年代最強を誇った智弁和歌山の高嶋仁監督(68歳)は2年連続、夏の甲子園出場を逃した。松坂大輔投手を教えた横浜の小倉清一郎コーチ(70歳)は今夏で引退した。代わって、大阪桐蔭の西谷浩一(44歳)、作新学院の小針崇広(31歳)、沖縄尚学の比嘉公也(33歳)など若い世代の監督らが毎年のように強力なチームを作り甲子園に乗り込んでくる。
その風潮の中で、60歳の中村が復活の甲子園出場を果たし、決勝の舞台にまで駆け上がってきた。しかも相手は大阪桐蔭だ。試合前に甲子園球場の3分の2を埋めようかという三重の大応援団を眺めながら、中村の人生に思いを馳せたとき、私の胸には迫るものがあった。
勝敗は、全力で前進する三重の中堅手のグラブをかすめるように大阪桐蔭の逆転の打球が転がり、決した。我々50代60代は、いくら努力しても人生が安物のドラマのように全て美しく終わるものではないことを知っている。だが中村は、何歳になっても人生が挑戦する価値のあるものだと教えてくれた。(敬称略)