堀内:ただ、アウトコースのキャッチングが流れる癖だけは参った。覚えているのは阪急とやった日本シリーズで、相手はスペンサー(*注)。真っ直ぐ、真っ直ぐでツーストライクに追い込んでベンチのサインは「カーブで外せ」だった。だから外したのに、森さんのミットが流れてストライクになった。結果的に三振ですが、ベンチで怒られて罰金ですよ。
【*注:ダリル・スペンサー/メジャーを経て1964年、阪急入団。手法として活躍し、1965年には野村克也(南海)と三冠王を争った。NPB通算は打率.275、152本塁打】
城之内:昔は皆、個性があって面白かったよね。それに熱かった。味方の攻撃中に、ベンチの背もたれに背中をつけているようなヤツはいませんでした。ON(王貞治・長嶋茂雄)をはじめ、大選手も前のめりになって檄を飛ばしていた。
金田:それぞれが自分に求められている役割をわかっていた。特にONに繋ぐバッティングは見事だった。
堀内:しつこかったですよね。とにかくONに繋ぐためにどうするか、という意識でやっていた。
金田:ONは先頭打者で迎えてもそこまで怖くはない。が、塁が埋まっていると、とてつもない力を出しよる。
堀内:間違いなくチームの核でした。その分、5番打者には苦労していましたよね。よそから獲ってきた選手が皆潰れてしまった。「ONの後」というプレッシャー。その点、V9後半によそから獲るのを諦めて末さん(末次民夫。現・利光)を据えたのは良かった。末さんがいなければ相変わらず5番調達に奔走していただろうから、9連覇なんてできなかったと思います。
※週刊ポスト2015年7月17・24日号