鈴木:私は対立については聞いてたけど、本当に分裂すると思ってなかったからびっくりしました。山一抗争(*注)を見ても分かるように、分裂する側にはリスクしかないですから。
【*注:1984年に竹中正久組長が四代目を襲名したことに反発した反竹中派が「一和会」を結成。竹中組長は一和会に殺害されたが、山口組の報復が激化。1989年の終結までに双方で25人もの死者を出した】
溝口:分裂に踏み切れた要因は、司忍組長と竹内照明若頭補佐(司組長の出身母体である弘道会会長)が情報を把握してなかったか、あるいは軽く考えていたことで六代目側が対策を取れなかったことでしょう。それには、高山清司若頭の不在が大きい。
高山若頭が4000万円の恐喝事件で有罪となり上告を取り下げたのが去年の5月で、収監されたのが6月。分裂計画はその時期にスタートしています。神戸側は関係ないというでしょうが、時期的に符合するのは間違いない。
鈴木:驚いたのは、山健組だけでなく宅見組までが参加したこと。どちらも山口組を代表する組織です。山健や宅見は、芸能人とのゴルフコンペ出席で後藤忠政組長が処分され(後に引退)、クーデターの芽が生じた2008年に、離反組を徹底的に潰した側だから、六代目もまさか出て行くわけがないとタカをくくっていたんじゃないでしょうか。
※週刊ポスト2015年10月30日号