このとき、Nさんがいかに細やかな姿勢で金子夫妻に寄り添っていたかを知っていた私は、「シミケンの本の編集担当はNさんしかいない」と思い、連絡。そして、Nさんの女性の上司がすぐにGOを出してくれて、その週末にはもうNさんは大阪に飛んでいた。
準キー局とはいえ、関西ローカルの読売テレビのアナウンサーが書く本にGOサインを即決する女性上司もずいぶん勇気があったと思う。
その頃の清水健アナは当然のことながら気持ちの整理などついているはずもなければ、書くという気持ちがしっかり固まっていたわけでもない。
それでもNさんは、大阪と東京を何往復もしながら、清水アナと話をしてくれたそうだ。「お話を聞いているときは、なるべく泣かないようにしていたのだけれど、ホテルに戻って泣いてしまった」とNさんは振り返る。
最愛の妻の闘病中、その事実は明かさず、高額医療に苦しむ家族や、医療現場の医師や看護師の懸命な仕事ぶりなどについて清水アナはツイートしていた。そして、報道キャスターとして「やっぱり僕は伝えるべきなんですよね」と清水アナは決意。
彼は奈緒さんとの出会いから、多くの芸能人らに祝福された結婚パーティのもよう、発症、出産、『~ten.』を休み、奈緒さんと息子さんと共に寝泊まりできる病院を選んで、彼女を見送ったことまで詳細に記した。
もう一つ、清水アナが「書く」モチベーションにしていたことがある。それは、多くの人が思っていた「奈緒さんは自分の命を犠牲にして最愛の男性の子供を出産した」ということを「否定」することだった。
「それは違うんです。僕たち家族は、『3人で生きていこう』と決意して、頑張っていたんです」と。奈緒さんもまた最期まで「家族3人で生きよう」と闘っていたというのである。
『112日間のママ』を読むと、奈緒さんは辛いとも苦しいとも痛いとも言わず、『~ten.』に出ている清水アナの姿を毎日楽しみにしながら、元気な男の子を出産。心身共にギリギリの状態でありながら、私が知っているオシャレでかわいい女性として家族旅行まで実現。昨年2月11日、天に召された。
清水健アナの背中を最初に押した先輩アナウンサー、GOサインを出した小学館の幹部、編集担当の女性たちが『112日間のママ』を支えている。それは、奈緒さんの“お人柄”だと私は思う。
発売からずっとamazonの闘病記部門で第一位を独走しているが、読み終えたとき、いちばん近くにいる人をもっと大切にしようと思える1冊だ。