◆僕にとって本書は第2のデビュー作
やがて豊隆の“書くべき物語”は、榊田とは腐れ縁の大物作家〈内山光紀〉と、豊隆と同い年の天才作家〈野々宮博〉との三者競作で連載が決まる。テーマはずばり〈父親殺し〉。自分に『三四郎』のモデルとなった文学者の名を授けた国語教師の父が女と逃げ、『カラマーゾフの兄弟』に救われた過去を持つ豊隆は確執と向き合うことを決意し、内山らも各々の作品に全霊を傾けた。が、会社は赤字続きの文芸誌の休刊を決め、豊隆の新作は宙に浮いてしまうのである。
例えば銀座で豪遊したり、文壇に君臨することに作家の本分はないだろう。だからこそ若い作家とフェアに闘う50代の内山は俊太郎にこう言うのだ。〈物語が必要とされる時代はきっと戻ってくる〉〈つまり、いまある物語が通用しなくなる時代ってことだ〉〈いろんな業界の、お前ら世代のいろんな連中が、来たるべき“その後”のためにたぶん準備を始めてるぞ〉〈俺たちは見ることのできなかった光景だ。うらやましいよ〉
「今の時代、物語が存在する場は紙媒体に限らない。ただ関わる人間が多い点でやはり紙に勝るものはないと思うんですね。編集者や書店員や、いろんな人間の〈覚悟〉や熱が生むうねり自体が大きな物語とも言えて、〈当事者〉が多いほど、その物語は幸福なんです」
また、〈死にゆく存在でしかないと知っている人類は、本来は精神を病んでしかるべき生き物であるということ。そこに“生きる意味”を強引に持ち込んだのが物語だったということ〉と、豊隆が後に妻となる女性に語る物語観は著者の思いでもあろうが、彼女の妊娠を機に豊隆は思う。〈書くことのためにしか生きないと心に誓っても、家族を幸せにしたいという思いは拭えない〉〈そんなふうに思ってしまう作家の書くものは果たしてつまらないのか〉
「僕にもこんなふうに思いつめた時期があった。でも今は、家族を大事にしても面白い小説は書けると証明するしかないと思っているし、本書は僕にとって書くと生きるは矛盾しないと宣言する第2のデビュー作と言えるかもしれません」
時代はどうあれ、作家が作家を生き、物語が物語としてあり続ける人間本位、作品本位の本来的な世界は従来の早見作品にも通じ、原点回帰こそが新たな地平を拓くという新世代の確信が頼もしい。本書は小説を読み続けたいと願う全ての当事者のための小説でもあるのだ。
【プロフィール】はやみ・かずまさ:1977年横浜生まれ。桐蔭学園高校野球部時代は高橋由伸現巨人監督の2年後輩で、ポジションはサード。大学時代からライターとして活躍し、2008年に名門野球部の補欠選手らの青春を描いた『ひゃくはち』でデビュー。漫画化や映画化もされ、ベストセラーに。2015年『イノセント・デイズ』で第68回日本推理作家協会賞。著書は他に『スリーピング・ブッダ』『砂上のファンファーレ』(文庫『ぼくたちの家族』に改題)等。184cm、74kg、A型。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2016年6月3日号