特に力のある右近は、自分こそが猿之助歌舞伎をよく知り、師の名を残すために精進してきたという矜持があるだけに複雑だったのではないか。そんな中、浮上したのが今回の「右團次襲名」だった。
「右近の現状について、他の一門からも同情の声があがっていました。すでに澤瀉屋を去ったスタッフらも、これまで一門を支えてきた右近の処遇を何とかしたいと立ち上がり、数年前から右團次襲名へと動いていたそうです。
『右團次』は、一度は途絶えた名跡ですが、格としては『中車』に勝るとも劣らない。また屋号を『高嶋屋』にすることで、四代目の意向に左右されることなく、右近は自由に動けるようになるんです」(同前)
この“独立”劇について、「市川右近の会」に問い合わせると、右近の母を名乗る女性が出て、こう語った。
「澤瀉屋の名跡もお勧めいただいたのですが、『右團次』の名跡が決まりまして。決して中車さんと確執があったわけではございません。『猿之助』はお血筋の方のところにいくのがいちばんですから」
一方の香川からは本誌締め切りまでに回答はなかった。前出の梨園関係者は、一門から距離を置こうとしているのは右近だけはないと明かす。
「元々、先代を慕って一門に入った役者ばかり。先代時代に右近と並ぶ人気役者だった市川月乃助(47)は、すでに澤瀉屋と距離を置き、勘三郎の姉・波乃久里子(70)が所属する『劇団新派』で活躍中。今年9月には『喜多村緑郎』を襲名し、歌舞伎以外へ軸足を移そうとしています。
一門を代表する女形の市川春猿(45)も『新派入り』を画策中で、昨年には新派の大名跡である『花柳章太郎』を継ぐのではないかという報道が出たほどです。また今後、右近を慕う澤瀉屋の弟子たちが高嶋屋に流出していく可能性も否定できない」
いま名門・澤瀉屋は大揺れに揺れている。
※週刊ポスト2016年6月17日号