梅田らは伝統校の最後の部員という重責も背負っていた。大事そうに抱えた梅田のキャッチャーミットには「球道即人道」という部訓が刺繍されていた。
最後の夏は、確実に、急速に近づいてきていた。練習試合の度に、スポーツ紙記者の姿が増えていった。5月に入って行われた私学大会から、チーム状況は少しずつ上向いてゆく。エースの藤村がマウンドに帰ってきて、早稲田摂陵を相手に9対1で勝利する。
私学大会の次の相手は履正社。さすがに春の大阪王者には、場外に消えた2本を含む4本塁打を浴びて大敗を喫したものの、貧打に泣いていたチームが強豪から3点を奪った。
その日の試合後のことだ。バスに乗り込もうとしていた部員の前に、ひとりの男性が現れた。
「26期の主将でした」
そう自己紹介したのは、現在、履正社医療スポーツ専門学校で野球部を指導する森岡正晃である。最後の部員を前に、森岡は涙ながらに語った。
「ゴメン、泣き虫やからね。今も野球人として指導ができているのはPLで学んだおかげです。12名で戦っている君らを見たら、感動と勇気をもらいました。最後までしきってしきってしきり通せば、絶対に神様が見捨てることはない。悔いのない夏にしてください」
森岡が口にした「しきる」という言葉──。
PLのナインは打席に入る直前や守備位置に就く前に、ユニフォームの胸のあたりを握りしめる。1980年代の黄金期、野球少年たちがこぞってマネをしたこの所作は、学園の母体であるパーフェクトリバティー教団(PL教団)における「おやしきり(祖遂断)」という宗教儀式で、部員たちが握っているのは首からぶら下げたアミュレットと呼ばれるお守りだ。
心の中で「お・や・し・き・り」と唱え、普段の力が発揮できるように祈りを捧げる。
※週刊ポスト2016年8月5日号