《私が妻と離婚したとき、孝太郎は4才、進次郎は1才でした。その時、道子はじめ家族が協力して、孝太郎、進次郎に寂しい思いをさせてはいけないと思って、できるだけみんなで協力しようと。なかでも母親代わりとして中心的な役割を果たしてくれたのが故人です》
道子さんには離婚した夫との間に生まれた娘がいたが、進次郎が生まれたときにはすでに成人していた。道子さんは幼き甥っ子たちの「母」として生きることを心に決めた。
道子さんの口癖は、「2人に寂しい思いをさせたくない」。横須賀の小泉家近隣住民が涙ながらに振り返る。
「幼かった孝太郎ちゃんと進さんは朝5時になると目を覚まし、『お腹が空いた』と泣くんです。その時、道子さんは右のおっぱいを孝太郎ちゃん、左のおっぱいを進さんに吸わせていた。当然、お乳は出ないけど、兄弟はそれで落ち着いたそうです」
おむつを替え、寂しがらないように交互に抱っこし、授業参観や遠足にも積極的に参加した。前出の近隣住民は、純一郎が当選した日の光景が忘れられない。
「純一郎さんが選挙で当選して事務所でお礼の演説をしている最中に、右手で進さんを抱え、左手で孝太郎ちゃんの手を引いた道子さんが壇上の純一郎さんのもとへ駆け寄ったんです。そこで純一郎さんに2人を手渡すと、進さんはお父さんの腕にぶらさがって、孝太郎くんはベルトにしがみついた。その場面を思い出すと、今でも涙が出ます」
2人は自然と道子さんを「ママ」と呼んでいた。
《幼児のときは夜も一緒に添い寝してくれて、学校に見送り、帰る。帰ったときには必ず“ママ”がいる。母親代わりに育った孝太郎、進次郎には“ママ”と呼ばせておりました。外に出ても、帰ってくれば、ママはうちにいて優しく温かく明るく迎えてくれている。これは孝太郎、進次郎の精神的安定に大きく寄与したと思っております》
※女性セブン2016年9月15日号