〈もう1人の出演者は、番組の企画構成も兼任したタレントの鈴井貴之(54才)。藤村さんと嬉野さんが2人の旅に同行する4人旅という番組形態をとった。放送開始時の裏番組は、ダウンタウン・松本人志のバラエティー番組『一人ごっつ』だった〉
藤村さん:ハプニングを起こしたかったんです。松本人志に対して、こっちは誰も知らない素人しかいない。勝つにはハプニングしかないので。ハプニングが起きやすい状況をつくっていきました。北海道の中で、知っているところをウロウロしていてもハプニングなんてたいして起こらない。大泉は九州も四国も行ったことがなかった。
嬉野さん:北海道のタレントさんは道外に出した方が、地方色が出ます。いろんなことに驚くんです。「竹藪がすげー」とかって、そんな番組ないじゃないですか。道外に出た方が驚きが多い。
〈番組作りで大切にしたのは、「こうしなければいけない」という決まりを作らないことだ〉
嬉野さん:番組作りの常識は知ってるんですけど、そこから外れた「いいな」と思う部分が、ぼくらにはある。そこを信じるしかないんですね。それをやっていくということが、唯一キー局に勝てるというか、世界を取れることじゃないですか。そこには嘘つかない。それこそ面白くない番組ができちゃったら、放送しなきゃいい。
藤村さん:どっちか1人が、編集のセオリー的にあれだから、まず駅舎撮っておいてくださいとか、食事のシーンだから1回ラーメン撮るから、みたいなことをやってたら、あの番組はだめでしたね。それよりも、バーっと撮って、編集でどうにでもなると思っていた。常識にとらわれない集団だったんです。
〈こうして始まった『どうでしょう』は、初回から高視聴率をたたき出し、口コミで徐々に全国的な人気を獲得していく。オーストラリア、アメリカといった海外を舞台にしたロケも行われている。国内も国外も撮影で訪れた場所の撮影許可は取っていない〉
藤村さん:今でも許可は取りません。そういうのをやっていて、「何かお互いにとっていいことあるの?」という気がすごくしているんです。今まで一回も注意されたことはありませんし、駅や店の片隅でカメラを回すことの何がいけないんだろうと思います。
嬉野さん:社会がとても戦闘的になってるってことだと思います。