例えば、離れて暮らす家族や友人と電話していて、相手が「大丈夫だよ」と言っても、声が暗い感じだったら「本当に大丈夫?」と思って直接様子を見に行った。ところがメールやLINEなどの短文メッセージからは、そんな“思い”は読み取れない。
「ベッキーさんの不倫騒動では、会見で語られる生の言葉よりも、週刊誌で報じられたLINEに書きこまれた文字の方が信じられ、嫌悪感が広がった。LINEの言葉からはその背後にある戸惑いや不安といった感情は表現されません。スマホによって、相手の気持ちを想像する力が失われてしまった気がします」(藤原さん)
信州大学元学長で現在は名誉教授の山沢清人さんは、学長だった2015年春の入学式で、新入生に「スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして自分で考えることを習慣づけましょう」と呼びかけた。
「スマホには利点が多く、人間の行動を助けるうえで大きな期待もあります。しかし、依存してしまうと自分で考える時間が少なくなってしまう。知識と判断力を養い、経験を積むことはすごく大事です。だからスイッチを切ろうと話したのです」(山沢さん)
忘れてはならないのは、スマホはあくまでも“道具”の1つだということだ。スマホをフル活用している著述家・評論家の勝間和代さんが言う。
「私はスマホによって時間を奪われている感じはまったくしていません。むしろ性能がよくなって時間がより有効に使えるようになりました。私はメールチェックは1日2、3回。LINEの未読は3日くらい放っておくこともある。
“マメに確認しない人”だと思われているので、本当に緊急の時は相手は電話をかけてきます。要はいかに使うかの問題なのだと思います」
もはや現代人にとって、なくてはならないものになりつつあるスマホ。だからこそ私たちはその功と罪について、よくよく自覚しなければならない――
※女性セブン2017年3月30日・4月6日号