「指導は厳しかったです。夫は怪我をさせないように教えるのが指導者の務めだと思っていたので、道場ではあえてピリピリした雰囲気をつくるために、竹刀を持って歩きました。試合の態度が悪い時やふざけていた時には、バチッと叩く。これは沙保里に対しても、よそのお子さんに対しても一緒。
父母のほうから“うちの子も叩いてください”と言われていました。夫は公務員だったので指導は完全ボランティアで、試合で遠征に行く費用も全部自腹。お金がなくて食費は“1日1000円”と決め、なんとかやりくりしていました」
沙保里選手は5才で初めてちびっこレスリング大会に出場。1回戦で男の子に負けた時のことを、幸代さんははっきり覚えているという。
「結局、その子が優勝し、金メダルを首からかけてもらっているのを見て、『あれ、欲しい』と言いました。負けず嫌いの沙保里は一生懸命頑張って練習して、翌年にはその大会で優勝。今思えば、彼女のレスリング人生は負けでスタートしていたんですね」
練習漬けの日々が続いた。平日は毎日夕方5時から夜9時まで。休日は試合の遠征があるので、休みは大晦日と元日くらい。沙保里選手が幸代さんに「レスリングをやめたい」と漏らしたことは何度もあったという。
「私はそのたびに“お父さんに聞いてみれば”と言っていました。絶対に聞き入れられないのはわかっているので、沙保里は自分で気持ちにケリをつけていたようです」
幸代さんも中学から短大までテニスに打ち込み、ダブルスや団体では県大会で優勝した経験もある。
「何かを身につけよう、成し遂げようと思ったら、我慢や忍耐は絶対に必要です。子供の時に覚えた我慢はきっと人生の財産になる。小さい時から人のせいにしたり、自分に言い訳をして通ってきたら、大人になって我慢などできるはずがありません」
一方で、次男を妊娠中に原因不明の「原田病」を発症し、失明の危機に瀕した。29才の時にはがんになり闘病した。だからこそ、子供たちには「我慢の後には楽しいことがある」とも教えてきた。
「ぐすぐず泣いていても1日、明日からどう生きていこうかと考えても同じ1日です。考え方次第で、苦しみやつらさの長さは変わる。それを沙保里には伝えてきました」
※女性セブン2017年4月27日号