その日本語能力は、彼がまだアメリカ・シカゴに住んでいたころに育まれた。
小学校時代、日本からワタル君という転校生がやって来て、『おそ松くん』や『巨人の星』といった漫画を見せてくれたことがきっかけで日本に興味を持つようになった。そして小学校とは別に、日本人学校にも通っていたという。
そんな中で深めていった、日本の文化や笑いへの造詣が役に立つ時が訪れる。1983年、アメリカのテレビ局「ABC」のプロデューサーとして番組の買い付けのために来日したとき、関係者の目にとまり、『笑っていいとも!』(フジテレビ)の1コーナーに出演した。
それは日本の風習やことわざの意味を外国人タレントたちに答えてもらう「クイズ なるほど・だ・ニッポン」というもので、日本のことを知らないからこそ繰り出される珍回答が人気を呼んだが、デーブだけは、すでに知っているかどうかは別にして、どう答えれば周りが面白がってくれるか、スタッフの期待に応えられるか考えることができた。ちなみに出演時、加山雄三にちなんで「デーブ・雄三・スペクター」と自ら名乗ってイジられている。
つまり彼の息の長さは、バラエティー番組の「外国人タレント」として求められる王道の役割を、素ではなく、完璧なまでにセルフプロデュースできていたことによる。
日本に移り住むようになり、タレントになったあとは、これまでの日本文化だけではなく、今起きていることにも目を向けるようになった。新聞はスポーツ紙を含めて毎朝20紙に目を通し、東京キー局6局の放送をリアルタイムでチェックするために自宅に6台のテレビを置いてチェック。時事問題を語れる外国人タレントの先駆けになった。
◆本音をくだらないダジャレで隠している?