「別に会長は偉くないです、なるべく楽をさせてくださいって、隠居老人みたいなことばかり言ってましたね。
多少慣れてからは自分が変だと思う〈PTAの常識〉を、みんなはどう思うか、必ず相談した上で形にした。僕は普段1人で仕事をしているし、自分が頑なな人間だって自覚してるんですよ(笑い)。つまりその違和感は僕に限ったものかもしれず、何かを変えるならチームの総意で変え、ニュートラルで公平な組織にすることには、最も気を配りました」
具体的には、〈周年行事〉を重視した繰越金を見直し、〈紅白饅頭〉を配るなら、今、必要なものを買おうと金の使い方も改めた。またただでさえ集まらない人材を確保するためにも役員の交代を5月にしてはという現場の提案を〈時限立法〉化し、役員増員や学童時代の親仲間を〈桜庭台サポーターズ〉として巻きこんでワークシェアを図るなど、個人の頑張りより制度こそを変えようとする、脱精神論的な姿勢が印象的だ。
「幸い校長も『大変にならないでください』という人で、一緒に活動するうちに、じゃあ運動会はお手伝いを増やしましょうとか、役員の皆さんも自分が楽になれる方向に動いてくれました。
もちろん次の代は次の代で変えてくれていいんです。別に僕らのやったことだけが正しいとは思わないし、前任者が妙に口出ししたり、自分がされてイヤなことはやらないに限りますから。
それでも町を歩くと今でもいろんな人に声をかけられて、ああ、自分はここに住んでていいんだなって。よく定年後、地元に友達がいないと嘆く人がいるけど、自分や家族が地域に根ざすためにも、やっぱりPTAはやってよかったんです」