◆家は身体の延長で脆いものでもある
また視点人物が動く度に移り変わる景色や動線の躍動感が読む者の五感や身体性に訴えかけるのも、写真も撮る著者ならではだ。
「元々私は物事の内と外に興味があって、小説も書くけど評論も書くとか、境界線上に立って両方を眺めたいタイプです。人間の内面と外面は表皮のところで接していて、固定せずに常に揺らいでいる。人が家を作るか、家が人を作るか、たぶん両方ですよね。
私は社宅育ちだけど、間取りは同じでも中の雰囲気が全然違うのをおもしろいなと思ったものだし、伊東豊雄さんの初期作品『中野本町の家』のように、夫と死別した姉一家が再起するための避難所として設計され、実際そういう効果を発揮した家もある。内と外は相互に関係し合っているんです。
自我が意識できるものだけが『自分』ではなく、状況が変われば未知の自分と出会うこともある。そういう意味で人間ってあやうい存在だし、そこに人の愛おしさもある。そうした人間の数値化できない不定形であいまいな側面に光を当てるのが文学や写真の仕事なのではないかと思います」
一方で家が人間の野性を刺激する場合もある。1階はデッキ続きのリビング、2階の寝室には三角や丸い窓が穿たれた「四角い窓はない」の家で男女が交わす愛の行為は、海に面した開放感がそうさせるのか、食事のシーンからして肉感的で官能的だ。