〈子供のころ、大きくなったら何になりたい? と訊かれると「建築家!」と答えたものである〉〈近所の家の外観を観察しては、その家の中がどうなっているかを想像し、間取り図に描く〉〈三次元のものが二次元の紙に移し替えられていくのは、理屈としては風景を写生するのと同じだったが、そこから受け取る興奮には雲泥の差があった〉
と、最終話「夢に見ました」にある主人公の回想も「ほぼ、私の自伝」という。
「建築家は算数ができないとダメ、と母に言われ、早々に諦めましたけどね。建築はアートと違って実用品だから、トイレのない家を作ったりしたら大変だって。ここに出てくる間取りも全部実際に建てられるようになっているし、マドリストの方も十分楽しめる本になっているはずです」
例えば6話「カウンターは偉大」の主人公は高校教師をやめ、世界一周の旅に出た〈ミツコ〉。しかし帰国すると実家に居場所はなく、やむなく家を探した彼女は、住居部分と今後開業予定の学習塾に振り分けられそうな、格好の物件と出会う。生徒募集のチラシを配り、キッチンのカウンター越しに数学を教える自分を思い描く彼女の中では、仄暗い欲望もまた渦巻いていた。
〈十代の男の子を見ると彼女はいとおしくてたまらない。平静を装っていても、一皮むけば性欲さかんな生き物で〉〈エネルギーの溜まりを堰を切って放ってやったら、彼らの体はどんなにかすっきりと軽くなることだろうと、その作業に手を貸してやりたくなるのだ〉
現に教師時代は教え子の幼い欲望に身を任せたこともあったが、酒場の女たちを守るカウンターのように、ここではキッチンのそれが自分を邪(よこしま)な妄想から守ってくれるのだ。