1966年に布施明(69才)の『霧の摩周湖』と梓みちよ(74才)の『渚のセニョリーナ』の両曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞。五木ひろし(69才)の『よこはまたそがれ』や小柳ルミ子(65才)の『瀬戸の花嫁』、アグネス・チャン(61才)の『草原の輝き』、山口百恵(58才)の『赤い絆』、中条きよし(71才)の『うそ』など、ポップスから演歌まで幅広いジャンルで数々の大ヒット曲を生み出した。
1974年に平尾昌晃音楽学校(現・平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。松田聖子(55才)、中村あゆみ(51才)、森口博子(49才)らを育てた。1978年にはスクール出身の畑中葉子(58才)とデュエットし、『カナダからの手紙』をヒットさせている。
「一発当てると散財してしまう音楽関係者が多いなか、平尾さんはとても堅実な人。音楽学校の経営も順調で、業界では数少ない、音楽的才能とビジネスセンスを兼ね備えた人でした」(音楽業界関係者)
その一方で、平尾さんはとても子煩悩な父親としても知られた。1972年7月、当時現役女子大生だった女性と最初の結婚。男子をもうけたが、平尾さんは音楽学校の秘蔵っ子だった小沢深雪(58才)との「不貞」を疑われ、妻に離婚と1億5000万円の慰謝料を要求される。当時、小沢はまだ16才。平尾さんが「不貞などない」と要求を突っぱねると、離婚問題は家庭裁判所に持ち込まれ、慰謝料1600万円、長男の養育費毎月15万円を支払うことで決着した。
平尾さんが小沢との再婚を発表したのはそれから2年半後、1978年7月のことだった。1978年10月に男子、1981年3月にも男の子(2004年に歌手デビューした平尾勇気・36才)が誕生した。だが、1980年代半ば、平尾さんが仕事で多忙なため“すれ違い生活”が続き、離婚した。
その後、30年以上長い独身生活を続けていた平尾さんが密かに再々婚していたというから周囲は驚いた。
「A子さんは50代で、身長は160cmくらいのグラマラスな体形です。気さくで明るいパワフルな女性で、事務所の取締役も務めているビジネスパートナーでした。彼女も平尾昌晃ミュージックスクール出身で、卒業後、20年以上も平尾さんのマネジャー的役割をしていたようです」(平尾さんの知人)
だが、その知人は首を傾げながらこう続ける。
「平尾さんからは、『A子はパートナー』と紹介されていたものの、結婚していたということは聞いていませんでした。報道を見て知ったんです。どうも、作曲家仲間や音楽関係者にも結婚したことを隠していたようで…。私だけじゃなく仲間もみんな、入籍していたことは知らなかったと思います」
※女性セブン2017年8月10日号