眞子さまは1998年に学習院初等科に入学し、その後、女子中等科、女子高等科へ進まれた。眞子さまが成長される過程で紀子さまは「好きなこと、興味のあることを伸ばしてあげたい」という教育方針を貫かれた。
眞子さまが興味を持たれたのは芸術や美術だった。眞子さまが初等科の卒業文集に寄せた一文がある。小学5年生の春、家族で京都御所を訪れて襖絵を鑑賞したことを「よき思い出」として、こう綴られた。
《日本画を見ていると、描かれた時代の歴史、自然や生活などを知ることができ、たいへん興味深く思います(中略)私は、日本画の制作、保存や修復の仕事、そして広く美術の研究にも関心を持っています。そして、いつか、今にも飛び立ちそうな鳥の絵を描きたいと思います》
女子高等科に進まれると、芸術や美術への関心がさらに高まり、高校1年時には、おひとりで京都国立博物館を訪ねられ、思い出の「京都御所の襖絵」を改めて鑑賞された。
「ご帰宅後、眞子さまは両殿下に展覧会のガイドブックを示しながら楽しくご報告をされたそうです。長い時間をかけて、わが子の興味を伸ばす秋篠宮家流の子育てが発揮されたエピソードでしょう」(高清水さん)
少々、話が前後するが、2006年2月に秋篠宮家に大きな出来事が起きる。紀子さまが第三子をご懐妊されたのだ。高齢出産に備える母を支えるため、当時中学3年生だった眞子さまに大きな変化が生じる。
「紀子さまの妊娠中、眞子さまは秋篠宮さまの沖縄でのご公務に同伴され、紀子さまの代わりを堂々と務められていらっしゃいました。まさに小さなご名代でした。また学校行事に欠かさず出席されてきた紀子さまに対して『無理をしなくて大丈夫』と伝えられました。紀子さまのお体を心配されての発言で、紀子さまは眞子さまの優しさに胸を打たれていました」(秋篠宮家関係者)
2006年9月、眞子さまの弟・悠仁さま(11才)がご誕生。眞子さまは佳子さまとともに「未来の天皇」を育てるという重責を背負われた紀子さまを全力でサポートされた。
悠仁さまが1才を迎える頃、紀子さまはこんな句を詠まれている。
《子ら三人(みたり)かくれて遊ぶ部屋の中たがひにみつけて笑みかはしけり》
悠仁さま誕生以降、紀子さまが眞子さま、そして佳子さまにいかに支えられてきたかが伝わるような歌だった。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年9月21日号