日本では、目新しく感じる産業観光だが、その歴史をさかのぼると“産業革命”に行き当たる。産業革命とは、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった、一連の産業変革による社会構造の変革および、経済発展のこと。イギリスを発端に蒸気機関車などが作られ、世界産業の近代化に拍車がかかったのだ。
その時代の遺産となっているのが、世界初の鋳鉄橋アイアンブリッジだ。鉄や石炭などを運ぶために作られたこの橋は、現在、世界遺産に指定されているが、近代産業の発展を知る上で、大きなシンボルとなっている。
「1851年に開催されたロンドン万博で、産業革命の成果として、鉄とガラスの『水晶宮』のパビリオンが披露されました。これにより世界中の人がイギリスの産業に触れることになり、やがて産業観光として一般の人に広がっていきました」
では、なぜ日本で産業観光は広がらなかったのか? 大きな理由は戦争と公害にある。
とりわけ1960年代、高度経済成長のひずみとして生まれた公害が全国的に深刻化し、この社会問題を解決するために、企業が一般に向けて工場を開放し始めたが、産業自体を本格的に観光化するには、それから40年近い年月を要することとなる。
「日本がロンドン万博のように、世界に自国の産業を公開したのが、2005年の国際博覧会『愛・地球博』です。すでに世界的企業になっていたトヨタ自動車の『トヨタテクノミュージアム』や陶磁器の『ノリタケの森』などが、自社製品の製造過程を紹介するパビリオンを作り、反響を得た。そこから各地でモノづくりの工程を学ぶ産業観光が本格化してきたのです」
※女性セブン2017年10月12日号