あくまで「泳げる」と言い張っていた安馬。モンゴルに海はない。川ではパチャパチャ水遊びをする程度で泳ぐ機会がない環境(各学校どころか高級ホテルにすらプールはほとんどない)で育った彼なのに、出来ない、と認めることがいやだったのだろう。その強がりは、今の日馬富士を形成していると私は思うのだ。
四横綱で最年長の三十三歳。右目の周りの骨が砕けたかけらが今も鼻の横に残っている。両足と両肘、特に左肘は夏に手術をする案もあったが復帰に一年はかかるようでは、とそのままになっている。
満身創痍の小さな体を支えるのは気持ちだけ。「体調は悪くない。いい緊張感で楽しみ」と語りスタートした九月場所だったが、三日目から三日連続の金星配給。こらえようとする日馬富士だが、まるで重力がかかっていないように若手に振り回される。
やばいぞ、普通なら休むのでは、と私は思ったが、大関以上七人のうち二人しかいなくなっている状況で休場という選択肢を持っていない日馬富士は「何もないよ。下がる場所もない、逃げる場所もないから。前を向いてぶっ飛ばすしかない」と語った。不安定さに気付かないふり、自分をだまして日々を過ごしているように見えた。
しかし一敗で独走していた豪栄道が十二、十三日目と連敗し星の差が一つに縮まった時、日馬富士のハートに火が点いた。この場所をまとめられるのは自分しかいない、と言わんばかりに瞳を輝かせ、絶好調で八連勝中の嘉風にまったく相撲を取らせない電車道。うなってしまう。私は日馬富士をなめていた。日馬富士らしさが胸に突き刺さる。
豪栄道が勝てば優勝が決まる千秋楽本割。前まわしを強烈に引きつけた。決定戦、立ち合いの日馬富士のなんという低さ。豪栄道のデコルテにぶちあたってそのまま走った。