──殺人罪で日本最長の41年7か月の刑を受け、7回も脱獄した実在の人物をモデルにした主人公を、松方弘樹さんが演じた東映実録シリーズのひとつですね。脱獄の末に何度捕まっても、まったく意気消沈しないバイタリティあふれる脱獄囚が公開当時、大人気でした。
小林:懲役が増えるごとに元気になっていくんです。ああいう、エネルギーがあるもの大好きなんですよ。
──最近は不良やそのグループを主人公にした映画も増えていますが、そういったものはあまり観なかったのですか?
小林:観ないことはないですが、普通の映画にありがちな”やられ役”の不良や、悪いから殴られてやられる、という類型的な描かれ方にものすごく嫌悪があります。また、不良だからかっこよくて、なんでも赦されるようなイメージもイヤですね。その、自分の中にある嫌悪をどうにかするために、本物の不良の話を聞いてみたいと思いました。どういう考え方をしていて、どんなことに怒り、何について笑うのかといった本当の姿を一通り知りたくて。そしていざ、実際に話を聞いてみると、思いのほか面白い話をたくさん聞けてしまったので、それを映画にしたくて作ったのが『孤高の遠吠』(2015年)などの自主映画でした。
──映画制作だけでなく取材や社会運動など、自分と異なるコミュニティと接触する場合、全般的に言えることだと思うのですが、対象と近くなりすぎると本来の仕事が難しくなることがあります。その距離感については、どのように考えているのでしょう?
小林:映画を撮るときの対象とのポジションのとり方については、『全員死刑』という映画を撮る前から、その原作本での描かれ方を参考にしています。(※『全員死刑』原作は、2010年11月刊行の書籍『我が一家全員死刑』が最初の単行本化)
書籍では死刑囚本人による手記のパートと、原作者の鈴木智彦さんによる事件の解説をするパートに分かれています。手記のパートはスピード感と熱が凄くある。それに対して、鈴木さんのパートは冷静なポジションを保っています。その結果、書籍全体が敵にもならず味方にもならず、起きた事実には最後まで付き合う話になっていると思うんです。この、鈴木さんによる語りのポジションどりがすごく好きなんです。不良の映画を撮ろうと取材をしたとき、一番よい距離はこの『全員死刑』における鈴木さんの位置だなと思いました。
──ヤクザなどアウトロー関連を専門に取材、執筆している普段の鈴木さんの普段の文章と『全員死刑』は雰囲気が違いますね。
小林:たぶん、鈴木さんの本で唯一『全員死刑』だけが、近すぎないポジションから書かれていると思います。というのも、ふだんの鈴木さんは、ヤクザとかなり親密な状態になってから取材をする。それは親密な距離感だからこそできることがあるからです。ところが、『全員死刑』の死刑囚には親密さがない。仲良くなるような暇も何もない仕事だったから、ということもあると思いますが、そもそも鈴木智彦さんは、取材対象者に対してその熱をみながら、冷静に一番の正確さを探す作家だったなと思い出させられるんです。カッコいいですよね。