そうやってきっちりと線引きするのは、単に忙しいから。ずっと馬と一緒にいて、調教師の本筋の仕事に時間を使いたいのです。もちろん、調教で馬に乗るのは助手なので、彼らがコメントするのが当たり前という思いもあります。
かつての苦い経験もありました。
私が話したことが一から十まですべて紙面に載ることはない。必ず「中抜け」されます。たしかにそう言ったんだけれど、文脈の中での意味が伝わらないことがある。面白い言葉だけをつなげられたりすると誤解を招き、「どうして、こんな大げさなことを言うのか」と馬主さんから叱責を受けることも珍しくないのです。
スポークスマンのコメントは、調教師のそれよりも重くない。軽視ということではなく、「調教師の口調がいつもと違って力強い」などの類推を排除できるという意味です。
スポークスマンのコメントを、私はチェックしません。信頼し、任せています。結果、目を引くような過激なコメントは見られず、さし障りのないものが多くなる。角居厩舎のコメント欄はそれほど面白くないわけです。
しかし、馬柱には印が付きます。新聞記者は厩舎発信の情報が少ない中で印を打つ。