その中にこんな指摘がある。
「近代化は社会階層の平準化をおしすすめた。下層とみなされた人々を、あしざまに難じるふるまいも、社会はゆるさなくなった。だが、人間のなかには、自分が優位にたち、劣位の誰かを見下そうとする情熱もある。これを全面的にふうじこめるのは、むずかしい」。そこで、「差別」と批判されない範囲での「からかい」が出てくる。「東京人が千葉や埼玉を愚弄することも、ゆるされる範囲」であり「名古屋をジョークタウン(笑いのネタの町)として、もてあそぶことも」、そうした黒い情熱の現れなのである、と。
岩中祥史や矢野新一に感じる歪んだ虚栄心も同類であろう。この醜さが私は嫌である。そして、民俗学や歴史学や社会学の研究成果に明らかに反するトンデモ説が広がることも、同じくらい嫌である。俗論の猖獗(しょうけつ)に警鐘を鳴らすのは言論人の使命である。
※週刊ポスト2017年12月8日号