主役を演じた草なぎさんも、最初からこの事件を深く理解していたのではない、と語っています。
「事件が起きたとき、僕は中学生でした。事件について詳しく知らなかったのですが、知れば知るほど、自由にモノが言える自由な社会とは何か、考えるようになりました」
その意味で、多くの一般視聴者と重なる。ゼロからスタートし時代や出来事について理解し、感情を想像し役者が自分の中で醸成したものが結果として演技に結晶し、伝える力となり共感を生み出していく。
今回のドラマは何よりも草なぎ剛、上地雄輔……役者たちの飛び抜けた集中力が支えていて、さらに優れた演出と脚本、3つが揃ったところに産み出されました。
「ドラマを通して少しでも皆さんに考えてもらうきっかけが作れたら」(草なぎさん)という言葉通り、この事件と現在の状況との不気味な相似性、関係性について前よりも格段に思いを馳せ考え、複雑な気持ちになった視聴者は多かったはずです。
そしてドラマの特徴をもう一つ挙げるとすれば、「お茶の間と地続き」であること。映画なら見たい作品をあらかじめ選択して時間を作りお金を払い、暗闇の中でじっと集中して鑑賞します。それに対して、ドラマはもっともっと日常とつながっていて気が散れば別のことを始めてしまうし、すぐチャンネルを変えることもできてしまう。
作品との出会い方についても、良いも悪いも「いい加減」な部分を含んでいます。たとえば赤報隊事件のことはよく知らないけれど草なぎさんのファンだったり、何となく時間ができてチャンネルをあわせたら偶然ドラマに遭遇、といったケースも多々あるはず。
だからこそ、社会に深く影響を落とし続けている未解決事件を「実録ドラマ」として投げかける意義は深い。作り手の想定を大きく超えて波紋が広がっていく──それがドラマの底力であり、ドラマでしかできないこと、と言えるのかもしれません。