◆在日文学といえば“恨”への違和感
本書では手記の中の徳允の一人語りと、それを読む梨愛の現在が交互に進行。遭難後、半島からではなく日本からの出国者を装い、あえて出頭して送還を免れたのも、〈文徳允〉名の闇の米穀通帳を入手できたのも、日韓間で手広く商売をする同船者の〈安川〉ことアン・チョルスのおかげだった。以来徳允たちは同胞の力を借りて何とか食い繋ぐが、徐々に左傾化していく朝連(在日本朝鮮人連盟)とは、後に袂を分かった。
そして解放三年目の夏、金日成と李承晩はそれぞれ独立を宣言。祖国が分断されたその日、三人はなんと真夜中の皇居で釣りに興じ、〈くそっ、二つに分けてやる〉と俎上の鯉を涙ながらに捌いたものの、あまりの不味さに笑い転げるのだ。
「この釣りの話は私が最も小説でしか書けないと思うシーンの一つです。その後の朝鮮戦争や政治的混迷にしても、教科書や新聞で知る限りは頭の理解に終始し、個人の生活まで脅かされた人々の存在を実感しにくいと思う。私は特に在日コリアンの問題を書く時は大文字で語られがちなことを、より身近で生活感のある小文字言葉で書くようにしています。結局、金大中の自伝にしろ父の話にしろ、人間は自分の過去を美化したがる動物らしく(笑い)、あらゆる一人語りがフィクションだとすれば、いっそ小説の方が現実を伝えられる気もしています」
その後、三人はそれぞれに事業を成功させ、徳允も大井町の工場主の娘・容淑と結ばれる。長男・鐘明を授かるが、重い心臓病を抱えた鐘明は入院先を出られず、妻との間にも溝が生じていく。