「小柄ですが目のぱっちりとした博多美人で、どことなく前妻の恭子さんを思わせます。結婚前から王さんのことを外では“主人”、家では“あなた”と呼んでいましたが、このタイミングで結婚するとは本当に驚きでした」(前出・王さんの知人)
◆母の死後を支え、実家を守ってきた自負
事実婚状態だったふたりの再婚の最大の障壁は、王さんの次女である理恵さん(48才)だったという。
「数年前から王さんは“A子さんと籍を入れようと思う”と周囲に相談していましたが、3人いる娘のうち理恵さんだけがすぐに納得できなかったようです」(スポーツ紙記者)
2009年に、王さんが腸閉塞と胆のう摘出の手術を行った時もA子さんは献身的な看病をした。その際、理恵さんと交代で王さんの看病をして、交流を持っていた。
「しかし、手術後すぐに週刊誌にA子さんとの関係が“事実婚”と報じられると、理恵さんは“父の財産目当てかもしれない”という不安を持つようになったそうです。そのため、一時、王さんと理恵さんの関係は疎遠になりました」(前出・スポーツ紙記者)
その3年後に、またもや“ケジメ再婚”と報じられるのだが、その際、理恵さんは雑誌のインタビューで複雑な胸中をこう明かしている。
《ふたりが20代で、なんのしがらみもない同士だったらいいですけど(中略)自分たちがいいから結婚するというのも、どうなんでしょう。私としては、(結婚せずに)今の状況がどこにも波風立たずに一番いいのですが》
理恵さんは病に倒れた父親を甲斐甲斐しくサポートするA子さんの姿を目にし、パートナーとしては認めていたものの、籍を入れるとなると心の底からは祝福できないもどかしさを抱えていた。
「再婚だけは許せなかったそうです。恭子さんが亡くなった時も、ショックで寝られない王さんのそばにいたのは理恵さんでした。それに、恭子さんが亡くなってからは、都内の実家で暮らし、“家族”を守ってきた自負もあります。
再婚を望む父親の気持ちもわかるけど、パパっ子の理恵さんとしては、“お父さんを取られる”という感情のもつれもあったのかもしれません。そのため、“わざわざ再婚することはない”という気持ちをずっと抱えていたようです」(理恵さんの知人)
大好きなパパには幸せになってもらいたいが、何もその年で入籍することはないじゃないか──そんな誰しもが思う複雑な「娘心」が理恵さんを悩ませていた。
理恵さんが父親の再婚に反対したもう1つの理由は、2002年に発生した「遺骨盗難事件」が影響しているという。